June
2010
特集「WEB世代から今、生まれつつあるもの」
- Introduction
- 藤村龍至「2010年に描かれる情報...
- Cover Interview
- 渋谷慶一郎「CDというメディア...
- Interview
- 梅沢和木「「ニコ動」になく...
- Text
- 南後由和「『集合知型リサー...
- Mail Dialogue
- 李明喜「空間を考えるーー情...
- After talk
- 山崎泰寛「生きることと生む...
カテゴリー
山崎泰寛「生きることと生むこと」
音楽と美術、社会学と情報学——一見、前者は芸術の、後者は科学の名の下に包含されるように思われる。そして各ジャンルのトップランナーの思考と方法がここに開陳されているとも言える。
だが、本号に並んだ記事を読むにつけ、記事の対象となる人物の誰もが、既存のジャンルを大胆にまたぐ超人のような横断可能性に併せて、一個人をベースに、周囲にじわっとにじみ出す求心可能性を身にまとっているのではないかと私は思う。決して軽やかな動きではなく、見方によっては不器用にすら映るかもしれない。
過渡期という言葉がある。「旧いものから新しいものへと移って行く途中の時代」を指す。この広辞苑の解釈では「混乱」という言葉が例文に用いられており、さまざまな物事が変化と淘汰の波に洗われる、野蛮な季節であることが分かる。WEBの存在が当然の(公然の)ものとなった現代は、既存の枠組みや価値観が大きく揺さぶられている、つまり、過渡期であると捉えられやすい。しかし、彼らは現代を過渡期だと認識しているだろうか?
彼らは、ゆらぐジャンルの境界線上で天を仰いで踊るのではなく、足下とその周囲を見回してステップを刻む。時代ごとのジャンルの異動に惑わされず、しかし、刻んだステップが歴史の痕跡となることにためらいがない。彼らが私たちに示しているのは、この世界が、小さな相互参照のサークルに閉じているのではなく、その歴史を自覚しつつ生きつづけることができるダイナミックな世界だという事実にほかならない。
今号で「生まれつつあるもの」は、おそらくこれからも、さまざまな物事を「生み続けていくもの」であるだろう。生きるという自動詞が、生むという他動詞を導く時代に、私たちは生きているのである。
山崎泰寛
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だが、本号に並んだ記事を読むにつけ、記事の対象となる人物の誰もが、既存のジャンルを大胆にまたぐ超人のような横断可能性に併せて、一個人をベースに、周囲にじわっとにじみ出す求心可能性を身にまとっているのではないかと私は思う。決して軽やかな動きではなく、見方によっては不器用にすら映るかもしれない。
過渡期という言葉がある。「旧いものから新しいものへと移って行く途中の時代」を指す。この広辞苑の解釈では「混乱」という言葉が例文に用いられており、さまざまな物事が変化と淘汰の波に洗われる、野蛮な季節であることが分かる。WEBの存在が当然の(公然の)ものとなった現代は、既存の枠組みや価値観が大きく揺さぶられている、つまり、過渡期であると捉えられやすい。しかし、彼らは現代を過渡期だと認識しているだろうか?
彼らは、ゆらぐジャンルの境界線上で天を仰いで踊るのではなく、足下とその周囲を見回してステップを刻む。時代ごとのジャンルの異動に惑わされず、しかし、刻んだステップが歴史の痕跡となることにためらいがない。彼らが私たちに示しているのは、この世界が、小さな相互参照のサークルに閉じているのではなく、その歴史を自覚しつつ生きつづけることができるダイナミックな世界だという事実にほかならない。
今号で「生まれつつあるもの」は、おそらくこれからも、さまざまな物事を「生み続けていくもの」であるだろう。生きるという自動詞が、生むという他動詞を導く時代に、私たちは生きているのである。
山崎泰寛
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