March
2010
特集「アーキテクト・アーティスト」
- Introduction
- 藤村龍至「技術に依存する時...
- Cover Interview
- 杉本博司「あえて伝統的手法...
- Interview
- 徳山知永「ロジカルな世界を...
- Text
- 粟田大輔「書き換えられるシ...
- Mail Dialogue
- 木内俊克「『汚い』システム...
- After talk
- 山崎泰寛「技術はなぜ媒体た...
カテゴリー
藤村龍至「技術に依存する時代のアート」
「アーキテクト」とは本来、建築家のことを指す。しかし近年、「アーキテクト」はコンピュータ技術をベースとする情報環境の設計者たちを指す用語となった。本特集「アーキテクト・アーティスト」では、そのような技術依存の時代におけるアート表現の可能性を問いかけるものである。
杉本博司氏は、現代美術の表現媒体として銀塩写真を用い、伝統的建築工法を用いるというように、方法論が一貫している作家である。脳裏に浮かんだイメージに対し、職人的な手仕事で実際に作業することによって、自分を説得させているという。
ここで杉本氏の疑問は、デジタルな技術に身体性は宿りうるのか、という問いに向けられる。機械が自動生成する、というオートマティズムのイメージに対し、石上純也氏や隈研吾氏にCADプログラムの提供を行う徳山知永氏は、コンピュータの論理世界との対話に、身体性を見いだそうとする。
粟田大輔氏は、徳山氏や名和晃平、泉太郎といった若い世代のアーティストが表現するマテリアリティのあり方に着目しつつ、それをシュルレアリスムにおけるオートマティズム(自動記述)を60年代後半から70年代の議論が乗り越えていこうとした当時の構図と重ねようとする。
筆者らは1960年代の建築・都市論が技術の層に介入しようとした一連のムーブメントを現代の文脈で捉え直そうと試みているが、アートのムーブメントを同様の構図で再解釈しようとする粟田の立論は大変刺激的である。
メール対談では、本サイトの公式ブロガーでもあり、刺激的なヴィジュアルのレポートを送ってくれている木内俊克氏と交わすことにした。木内氏らのプロジェクトは、アルゴリズミック・デザインが生み出すその過激な形態に最初は目を奪われてしまうが、彼らの目指すものはその形態というよりは、そのプロセスの構造がもつシナリオの構築可能性のようなものであることが確かめられた。
技術環境の作用が強力に感じられる時代には、システムへの依存、あるいは全面的な抵抗というよりも、その書き換えを含んだ主体的な対峙が求められる。そうしたポジショニングや表現者としてのロールモデルをいかにして構築するかが、現代を生きるアーキテクト/アーティストにとっての当面の課題であろう。
藤村龍至/TEAM ROUNDABOUT
杉本博司氏は、現代美術の表現媒体として銀塩写真を用い、伝統的建築工法を用いるというように、方法論が一貫している作家である。脳裏に浮かんだイメージに対し、職人的な手仕事で実際に作業することによって、自分を説得させているという。
ここで杉本氏の疑問は、デジタルな技術に身体性は宿りうるのか、という問いに向けられる。機械が自動生成する、というオートマティズムのイメージに対し、石上純也氏や隈研吾氏にCADプログラムの提供を行う徳山知永氏は、コンピュータの論理世界との対話に、身体性を見いだそうとする。
粟田大輔氏は、徳山氏や名和晃平、泉太郎といった若い世代のアーティストが表現するマテリアリティのあり方に着目しつつ、それをシュルレアリスムにおけるオートマティズム(自動記述)を60年代後半から70年代の議論が乗り越えていこうとした当時の構図と重ねようとする。
筆者らは1960年代の建築・都市論が技術の層に介入しようとした一連のムーブメントを現代の文脈で捉え直そうと試みているが、アートのムーブメントを同様の構図で再解釈しようとする粟田の立論は大変刺激的である。
メール対談では、本サイトの公式ブロガーでもあり、刺激的なヴィジュアルのレポートを送ってくれている木内俊克氏と交わすことにした。木内氏らのプロジェクトは、アルゴリズミック・デザインが生み出すその過激な形態に最初は目を奪われてしまうが、彼らの目指すものはその形態というよりは、そのプロセスの構造がもつシナリオの構築可能性のようなものであることが確かめられた。
技術環境の作用が強力に感じられる時代には、システムへの依存、あるいは全面的な抵抗というよりも、その書き換えを含んだ主体的な対峙が求められる。そうしたポジショニングや表現者としてのロールモデルをいかにして構築するかが、現代を生きるアーキテクト/アーティストにとっての当面の課題であろう。
藤村龍至/TEAM ROUNDABOUT