May
2010
特集「アーカイブ2.0」
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矢部俊男「TOKYO MODEL--東京の近未来を俯瞰する 」(1/2)


TOKYO MODEL 1:1000で再現された新宿副都心
「TOKYO MODEL」は、1:1000で東京の主要部を再現した模型である。デジカメで撮影したビルの外観写真をヴォリューム上に貼付け、実際の建築物の表情を再現しているだけでなく、半年に一度程度更新を行って、常に現在形を再現しているという。いわばヴァーチャルな東京のように「生きる模型」である。
アーカイヴの技術的環境は、1990年代にデジタル化という大きな転換があり、私たちの世界の記録のあり方を「有用な記録を選別し残す」構造から、「ありとあらゆる記録を残す」構造へと移行させつつある。この「TOKYO MODEL」こそは、その変化のイメージを体現する新たな都市空間の記録装置として捉えることができるだろう。ここでは、都市空間の将来像を描くためのツールとして作成されたという「TOKYO MODEL」の開発経緯や機能、今後の発展可能性などを伺うことにした。
聞き手=藤村龍至
「もうひとつの東京」としてのTOKYO MODEL
藤村:TOKYO MODELを制作した背景について教えて頂けますか。
矢部:1995年ぐらいから制作を始めたんですけど、90年代の初頭の頃、まだ都市を記録するというメディアの形態は限られていたんですね。昔は写真をとってアルバムに保存するという方法しかなかった。しばらくしてフィルム、ビデオが出てくるわけですが、時間あたりのコストが高くて記録しきれなかったわけです。
東京の模型をつくろうというときにも、ゴジラに出てくるものとか、東武ワールドスクエアみたいなものを作るんだけど、全体は到底作れずに部分だけつくることになっていたのでそれはアーカイヴとは言えなかったのですけれど、1990年代になってから技術的な背景が劇的に変化しましたよね。その技術的な変化の産物がTOKYO MODELだと捉えています。
藤村:具体的には何かきっかけがあったのでしょうか。
矢部: 1999年に社長がメンバーであった小渕内閣の「経済戦略会議」で都市問題について話しをしたのですが、そこで例えば東京はニューヨークに比べて何が問題なのか、ということを、わかりやすく見せるツールが必要だったんです。
図面で見せてもなかなか伝わらない。そこでそれをモデルで見せましょうということで、模型で作ったんです。最初は六本木ヒルズを含めた2メートル四方くらいのものだったのですが、思いのほか周囲の反応が良くて、もう少し広範囲を作ってみないかという話になり、さらにたくさんの人が見に来たいという話になって、どんどん拡大していったのです。ちょうど六本木ヒルズが2003年にオープンする事になってもいたので、丸の内や品川、汐留と比較して、六本木ヒルズはこうなんですということを、わかりやすく説明するツールにもなっていました。

TOKYO MODEL 忠実に再現された国立代々木体育館付近
藤村:六本木ヒルズがオープンした際に開催された「世界都市展」でこの模型を発表されていたと記憶しておりますが、その段階ではどれくらいの大きさだったのですか。
矢部:あの時には、10m × 8mで、山手線の内側3分の2くらいの範囲でした。その後、2016年東京オリンピック誘致の協力のために臨海部を含む17m x 17mに拡大して、現在では羽田空港やスカイツリーなども含む大きさになりました。
藤村:今後も機会があれば拡張する可能性もあるのですか。
矢部:「七つの副都心」( 新宿、渋谷、池袋、上野、大崎、錦糸町、臨海 )というテーマで作ろうかなと思っていますので、その範囲をカバーしたいと思っています。いつ出来るかまだわからないですけども。
藤村:現実の建物が建て替わると、模型も更新されるのですか。
矢部:そうですね。半年に一回くらいのペースで更新しています。不動産会社ですから、新たにどこで着工したとか、何を作っているのかっていう情報は社内で持っていますので、それに合わせて変わったところをチェックしています。
藤村:模型上の東京も、現実の東京が生きているように生きているということですね。
矢部:そうですね。更新しながら絶えず変化をしています。
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