July
2010
特集「『超』表層--表層と深層の関係から」
- Introduction
- 藤村龍至「10年ぶりに、『表層...
- Cover Interview
- 中村竜治「表層を見ないとわ...
- Interview
- 小山泰介「表面的で/断片的...
- Text
- 五十嵐太郎「スーパーフラッ...
- Mail Dialogue
- 浅子佳英 「カオスvsニュートラ...
- After talk
- 山崎泰寛「『超』表層の深層...
カテゴリー
藤村龍至「10年ぶりに、『表層』や『日本』について考える」

中村竜治「とうもろこし畑」東京国立近代美術館
提供=中村竜治建築設計事務所
今回は、独特の微細な表現の追求によって高い評価を得ている建築家、中村竜治氏と写真家、小山泰介氏のふたりをフィーチャーしたい。
この世代(1970年代生まれ)の建築家やアーティストが比較的共有している問題意識のひとつに、「表層」の取り扱い方がある。私たちが観察したり、表現をする対象は、技術革新が進み、情報化が進めば進むほど「表層」に限られていることを自覚することが多い。しかし、そのような仕事にどのように取り組み、どのように位置づけたらよいか。すなわち、表層を、どう乗り越えるか、表層から深層へとアプローチすることはどうやったら可能なのかについては十分に議論が尽くされているとは言いがたい。
中村氏は、青木事務所に所属していた頃、青木淳氏に「かたち」そのもののスタディを指示されて、それが新鮮だったという。青木氏はその頃、「ヴィドン名古屋」など、内装にタッチせず、ファサードのみデザインすることを依頼されたプロジェクトをきっかけに、「カタチかナカミか、という二項対立をいかに超えるか」という議論をしばしば展開していた。妹島和世氏も、内部と外部の関係を連続させなければならない、とされてきた建築の常識に対して、回廊型プランを導入することで、内部と外部が自律的にドライブする感覚について述べていた。
青木、妹島、あるいは隈研吾といった身近な建築家たちの試行錯誤を間近で見た1970年うまれ世代の建築家たちが、その問題意識を抱き続け、「かたちをかたちとして捉え、概念として捉えない」という即物主義的な姿勢に、配列複製的な即物的な操作を重ねて、ある定数のうえに微細な差異を表現するという、独特の表現世界を生みだしつつある。その世界をもっとも先鋭的に表している作家のひとりが、中村氏であり、写真という隣接領域で共通の問題意識からこの問題に取り組んでいる写真家が小山氏である。この特集はまず、その表現の問題意識のありかを直接本人に問いかけている。
この特集が問いかけるもうひとつの問題は、そのような独特の表現世界が若い世代のアーティストや建築家の間に立ち現れてきているとして、果たしてこれらは「日本的な」表現なのだろうか、というものである。ちょうど10年前、村上隆らが「スーパ—フラット」を提唱した際に、その表現を日本的なものとして提示することに多少の議論があった。この表現が、日本的なものなのか、日本的とは限らないが、日本人作家の間で先鋭化しているものなのか。仮に後者だとしても、それが「日本」という場所で先鋭化する理由は何か。
そこで、今回のメール対談では、黒瀬陽平氏らによる「カオス*ラウンジ」「破滅*ラウンジ」の会場構成を担当とした浅子佳英氏とまず、この問題を討議することとした。「カオス」「破滅」的な空間は、ある意味で日本の現代社会の一側面を切り出したかのようにみえる。中村、小山的世界とは対比的に写るその表現世界もまた、2010年という時代を切り取っているという点で共通しているように感じられるからである。
五十嵐太郎氏には上記の議論を追いかけるかたちで、レビューの執筆を依頼している。2000年前後のスーパーフラットの議論との連続性あるいは非連続性を検討しつつ、これらの表現の射程を捉えたい。それが今回の特集の狙いである。