March 2010

山崎泰寛「技術はなぜ媒体たりえるのか」

Bookmark and Share
——イメージと作業が相互に補完しながら支えあっている——

杉本博司氏が述べた印象深いフレーズだ。物事の特徴をいっときに掴まえてしまう杉本氏の作品が、何よりも作家本人の正直さによって支えられていることを改めて気づかされる。身体性とイメージの関係性を語る方法論が、杉本氏固有の言葉で語られていることが興味深い。

一方で、重さも境界も単位もない「『リアリティの欠如した世界』観の片鱗を現実に持って来られるか」と徳山知永氏は語る。彼がプログラムする世界は、人が孤独であることをどこまでも認める、ヒューマンな空間なのではないかと思う。また、木内俊克氏が語る決定論は、テクノロジーの機能と介在性を扱っている点で、前号の松川-藤村対談と完全に共振しているし、「書き換えのシステム」に方法論の現在を見出す粟田大輔氏の論考と、トークセッション「アートと建築:今わたしたちが表現したいこと」(松島潤平によるレポート)はともに支え合う関係にある。両者とも、ぜひ併せて再読いただきたい。

ところで、先月号の特集「設計プロセスの現在」では、設計プロセスを通じて、方法とは何かという大きな問いを投げかけることになった。「アート」を直截に語らないことによってなお、創作の現場特有の、肌が粟立つような感覚を覚えられたのではないかと思う。方法についての議論は、一見するとさまざまな物事を一点に収束する方向性を持っているように思われるかもしれないが、そうではない。作家が持つ方法論の固有性が作品の独自性をおのずから明らかにしてしまう点に、面白さがある。

だから、この特集を目の前にした時に、「アートか建築か」といった出口のない問いに自閉せずに、創作を語る言葉のただ中に身を浸し、1つひとつの言葉が身に迫ってくる速度をそのまま受け止めてみたい。アートは、建築は、なぜ語られるのだろうか。その次の瞬間に読者が語り出す言葉を、私たちは聞いてみたいと思う。

山崎泰寛/TEAM ROUNDABOUT