April
2010
特集「都市空間とアート」
- Introduction
- 藤村龍至「都市空間の変容と...
- Cover Interview
- ダン・グラハム「都市空間の...
- Interview
- 泉太郎「コントロールできる...
- Text
- 木ノ下智恵子「芸術の拡張機...
- Mail Dialogue
- 黒瀬陽平「カオス*ラウンジ宣...
- After talk
- 山崎泰寛「さわれない語りの...
カテゴリー
山崎泰寛「さわれない語りのながめ」
都市とは、人が集まったある領域を指す言葉だ。本特集では、その「ある領域」をさまざまに捉えかえす4本のテキストが並んでいる。
ダン・グラハム氏は、作品を媒介に都市空間の発見的な経験をもたらす。印象深いのは、世界を受け止める彼自身の受容性の高さだ。泉太郎氏の語る「コントロール」は、作品の制作過程が持つインタラクティブな効果を観客にも作者にも投げ返す仕組みを持っている。特に、3語で成り立つ「さわれないやまびこのながめ」が、さわれないやまびこ(やまびこ=音には触れることができない)、やまびこのながめ(やまびこ=音を見ることはできない)と、いずれの「係り」においても不可能性を有しつつなお、制作を駆動するタイトルとなっている点に強く共感する。また、「藝大不合格者展」をぶち上げた黒瀬陽平氏による、ぎらつく言葉で書き上げられたカオスラウンジ宣言は、藤村とのやり取りの濃密さとともに思い出され、今後くり返し参照されるに違いない。
ところで、「芸術・美術がアートと呼ばれるようになって久しい」という木ノ下智恵子氏の問いかけは興味深い。ローレンス・レッシグに端を発する「アーキテクチャ」の概念は、言うまでもなく建築が建築と訳される前の言葉、つまり原語として理解されてきた。私には、その響きには日本語の「建築」が纏っている独特の重々しさは感じられず、言ってみれば「ある構造」ぐらいの、動きのある仕組みを想像させる。
芸術がアートになったことで起こった変化のひとつに、木ノ下氏が語る「概念のリノベーション」があるとするならば、「建築がアーキテクチャと呼ばれるようになって久しい」と語られる日が到来するのも、そう遠くないのかもしれない。
山崎泰寛
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ダン・グラハム氏は、作品を媒介に都市空間の発見的な経験をもたらす。印象深いのは、世界を受け止める彼自身の受容性の高さだ。泉太郎氏の語る「コントロール」は、作品の制作過程が持つインタラクティブな効果を観客にも作者にも投げ返す仕組みを持っている。特に、3語で成り立つ「さわれないやまびこのながめ」が、さわれないやまびこ(やまびこ=音には触れることができない)、やまびこのながめ(やまびこ=音を見ることはできない)と、いずれの「係り」においても不可能性を有しつつなお、制作を駆動するタイトルとなっている点に強く共感する。また、「藝大不合格者展」をぶち上げた黒瀬陽平氏による、ぎらつく言葉で書き上げられたカオスラウンジ宣言は、藤村とのやり取りの濃密さとともに思い出され、今後くり返し参照されるに違いない。
ところで、「芸術・美術がアートと呼ばれるようになって久しい」という木ノ下智恵子氏の問いかけは興味深い。ローレンス・レッシグに端を発する「アーキテクチャ」の概念は、言うまでもなく建築が建築と訳される前の言葉、つまり原語として理解されてきた。私には、その響きには日本語の「建築」が纏っている独特の重々しさは感じられず、言ってみれば「ある構造」ぐらいの、動きのある仕組みを想像させる。
芸術がアートになったことで起こった変化のひとつに、木ノ下氏が語る「概念のリノベーション」があるとするならば、「建築がアーキテクチャと呼ばれるようになって久しい」と語られる日が到来するのも、そう遠くないのかもしれない。
山崎泰寛
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