February 2012

藤村龍至 「社会全体のアイデンティティを再生するために」

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天王洲アイル 提供:AAR編集部


今月は「場所」をテーマにしたい。いうまでもなく「場所」や「地域性」というトピックは近代主義批判として繰り返されてきたモチーフである。国家が近代化する過程で、国際的な競争のなかで資本主義経済を円滑に進める必要があり、労働力を流動化させるために、均質な空間を用意する必要があった。そのことと引換に、私たちの社会は身分や地域による格差を埋めることができた。

その代わりに場所の固有性は失われ、所得による格差が顕在化しているのが近代化以後の社会、すなわち現代である。建築家はこの40年、「場所」を取り戻すために、記号を問題にしたり、素材を問題にしたり、コミュニティによる生活のありようを問題にしたりして、何とか近代化のプロセスで社会から失われたものを指摘して、取り戻そうとしてきた。

その試みはすでにこの40年くらい断続的に続いていることであるが、なぜ、ここに来てそのことが改めて問題になるのだろうか。もしかするとそこには、日本人のアイデンティティのゆらぎが関係しているのかも知れない。場所が失われても、風景が均質化しても、経済が好調な時代は、まだそれを気にする機会は少くて済んだ。ところが、経済が失速して人口減少が始まり、社会の縮小が始まると、場所の不在が自らのアイデンティティの不在の表れとしてより強く迫ってくるのではないか。

そのように考えると、今回の特集のなかで青木弘司氏と伊藤暁氏が交わしている討議は興味深い。彼らによれば、「地域性」が社会性と身体性(政治性と身体性と読んだほうがイメージしやすい)に代わる第3の創作の論理になるのではないかという。なるほどそれは建築家の問題意識のひとつのあり方かも知れない。しかし、社会全体の設計論、つまり、日本社会の全体がアイデンティティを失う元凶のひとつである経済の失速や人口の減少などにどう対するのかについては、より大きな枠組での考察が必要であることは間違いない。

それでも、建築は場所の固有性を目指して作られるのが妥当である。少なくとも、社会のニーズには答えることになるからだ。そのためのアプローチの秀逸な例として、ここではTNAと長谷川豪の即物的な思考の可能性を指摘しておきたい。ただし、その可能性は場所の固有性を浮かび上がらせることのためだけでなく、今後の社会のありようを設計することのために活用される可能性を指摘しておきたい。

藤村龍至