February
2012
特集:場所性のネクストステージ
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長谷川豪 「スタディとリアル」 1/2


長谷川豪氏 撮影:AAR編集部
建築設計のプロセスにおける検討を「スタディ」という。1990年代後半にCADが登場して以来、建築のスタディのあり方は大きく転換した。今回の対談では、1990年代に建築を学び始め、「スタディ」に重きを置く建築家のひとりである長谷川豪さんに、今日的な「スタディ」のあり方から建築の可能性をお聞きした。
聞き手=藤村龍至
「余白」をつくる
藤村 長谷川さんの近著『考えること、建築すること、生きること』のタイトルは、「考えること」と「生きること」、ゾーエーとビオス、政治と身体の間に「建築すること」を位置付ける長谷川さんの意図が感じられて興味深かったです。今日は「余白」というキーワードが長谷川さんの建築的テーマになっているとのことですが、なぜ「余白」を語るに至ったのですか。
長谷川 僕がこれまで都市住宅を設計することが多かったということが関係していると思います。都市の中で住宅をつくるというのは、場所とか、クライアントとか、具体的に考えれば考えるほど、打ち合わせをすればするほど情報量が多くなって複雑になっていく。基本的に建築は情報量が多いほうが良いとは思うのですが、やはりただ条件への対応を集積すると鬱陶しいものになってしまいがちですから、そうした複雑な状況から一歩出て、外側から見るような視点があると上手くいくことが多いんです。そういう外側の視点を与えてくれるものとして、「余白」というのは効果的だと思っています。
藤村 「桜台の住宅」「五反田の住宅」「駒沢の住宅」など、都市型の住宅は家の中心に余白的な空間を据えて、建築の中心に位置づけている印象がありますね。
長谷川 自分としてはだんだん外側に出て行った感じもあります。「狛江の住宅」の道路より1m高い庭は、「余白」が外観に現れて、「余白」がより社会的な存在になっているとも言えます。
藤村 生活者にとってセキュリティとかプライバシーなどの身体感覚はとても強固なものがあるので、それを開いて外側と関係付けていくには少々レトリックが要ると思いますが、「駒沢の住宅」など、窓の下側まで1,650mm壁が立ち上がっているんだけど視線としては床を介してダイヤモンド(道路サイン)が見える、というような「斜めの視線」は両者を両立する方法として効果的ですね。
他方で天井高で1,650mmとか1,800mmなど、標準的な住宅の「2,400mm」という寸法に慣れた人からすると割とタイトな寸法を使われていますが、そのことについてはどのように考えているのでしょうか。余白的な場所を作るためにタイトな場所を作っているような感じもあるし、逆のような気もするのですが、タイトな寸法に対する志向みたいなものはありますか。
長谷川 僕が「余白」と呼んでいるのは基本的に大きな空間であることが多いのですが、一見するとガランとした余白の空間というのはやはりシンボリックな見え方をしがちで、それだけだと気になる。ただ強い象徴性をもった空間ではなくて、ガランとした空間のなかに身体性も重ね合わせたい。例えば「桜台の住宅」のテーブルが分かりやすいかもしれないですけど、大きな空間のなかに身を寄せられる身体的な寸法である700mmを内在させるわけです。つまり、身体性を含んだ「余白」を志向しているんですね。

駒沢の住宅(2011年) 提供:長谷川豪建築設計事務所
反復と色彩
藤村 なるほど。ただ、細かい場所をたくさん作ると、平面や断面が過剰に複雑になることが往々とあるわけですが、長谷川さんの建築は細かな場所をつくっているわりには明快な構成をキープしています。その理由のひとつは、長谷川さんの建築は「狛江」が垂直方向に2分割、「浅草」が水平方向に4分割というように、断面が等分割で構成されているというのも特徴になっていて、それが効いていると思うのですがいかがでしょうか。
長谷川 確かにそうですね。僕は建築の形式がもつある種の強さや超越性を大事にしたいと思っていて、例えば「反復」というのは建築の超越性の最たるものです。列柱などが分かりやすい例ですが、部位が反復されるとやはり建築にしかつくり出せない強さが現れます。狛江は反復というよりも鏡像反転と言った方がいいかもしれませんが、浅草の4分割にはやはり積層建築がもっている反復性への自分の興味が表れていて、そうしたドライな部位の反復のなかに、ある種の建築性が生まれると思っています。でももちろん単にそうした建築の形式性だけを表現したいわけではなくて、やはりそこに身体性が重なってきて欲しい。だから浅草の断面は4分割であると同時に、各階の天井高が1910mmであることが決定的に重要なのです。
藤村 妹島和世さんの「北方ハイタウン妹島棟」や山本理顕さんの「埼玉県立大学」などに顕著ですが、CADでいう「コマンド+D」、配列複製による反復表現が1990年代のCAD導入の時期に生まれたことは、同時代に建築を勉強していたのでよく分かります。反復表現はコンピューターライゼーションのひとつの現れだとは思いますが、2010年代の今、アルゴリズミックな操作から複雑な形態をつくり出すというアプローチが現れつつあるなかで、「反復性から生まれる建築性」を重要視する長谷川さんの視点は独特だと思いました。
他方、長谷川さんの師匠の西沢大良さんは『現代住宅研究』の「室内風景論」のなかで「現代住宅の室内風景の混乱は、戦後社会に物の種類が増えた事が原因だ」と定義して、茶色のピアノがある部屋の全体を茶色に塗ったり、シルバーの電化製品がある部屋の全体をシルバーに塗ったりすることで色彩の氾濫に秩序をもたらそうとされていました。長谷川さんの住宅作品をみると、「桜台の住宅」「五反田の住宅」は白を基調としていたのに、近作の「森のピロティ」「駒沢の住宅」は茶色を基調としており、変化が感じられます。色彩について考えていることはありますか。
長谷川 西沢さんの言葉で印象深かったことのひとつに「白は篠原一男の色だ。妹島和世もそのなかでやっている」ということがあります。白が篠原さんの色だとまでは思いませんが、西沢さんの言いたい事も分かるんです。白は意味をもたない色だと思われがちですが実はそんなことはなくて、真っ白い空間というのは、場合によっては強すぎることもあります。「五反田の住宅」では同じ白い壁でも、外壁とホールと内壁のテクスチャーの違いでそれぞれ違う白壁をつくったりもしました。でもだんだん白という色が「余白」を強く表現し過ぎてしまうことが気になり始めたこともあって、最近は白壁はあまりやらないですね。最新作の「経堂の住宅」では内壁と外壁を同じ素材(繊維強化セメント板)で作ってみたり、いろいろ試行錯誤しているところです。

五反田の住宅(2006年) 提供:長谷川豪建築設計事務所
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