May 2011

宮本佳明「「ゼンカイ」ハウス以後」 1/3

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宮本佳明氏 撮影:AAR編集部

全壊判定を受けた自宅に鉄骨フレームを挿入して再生した「ゼンカイ」ハウスは、宮本さんの原点であり、今も事務所が入居し、ホームベースとなっている。当時34歳の若手建築家は、震災という経験とどのように立ち向かったのだろうか。
聞き手=藤村龍至+山崎泰寛



残す義務を感じた

藤村|「ゼンカイ」ハウスを発表されたとき、どこに向けてメッセージを発信されようとしていましたか。

宮本|「公費解体制度」という、大きな損傷があれば国がお金を出して解体してくれるという制度があったんですよ。みんなが雪崩を受けたようにそれに申し込んだんですね。お隣りの小屋組が壊れ、自宅を含めて全壊判定を受けたのですが、壊れたのは隣の部分で、自分のところは厳密には壊れてはいないじゃないかと思ったんです。四軒長屋なので、マンションなどと同じ扱いで、いわゆる一軒の建物とみなされる。でも構造を切り離せば自分の家は健常じゃないのかと気がついたんです。

山崎|制度自体は震災と関係なくあったということだったのでしょうか。

宮本|どうだったかな、ちょっと思い出せないな。ただ公費解体制度はあくまで都市機能を回復するために街中のゴミの撤去をするための制度で、厚生省マターだったんです。だから基礎の解体まではやってくれない。ある時それを知ったんですよね。ゴミと認定されるとゴミだけど、こっちがゴミと思わなければゴミじゃないじゃないかと思って、これは残す義務があるんじゃないかと思ったんです。



「ゼンカイ」ハウス外観 撮影:AAR編集部


安心のかたち

山崎|鉄骨はこういうふうに入れないといけなかったんですか。

宮本|いえ、過剰です。色んな意味で過剰にしたかったんです。被害はそれほどではないと思っていましたけど、次に地震が来たときには壊れるかも知れない、という思いがあったんですよね。長屋って道路に対して直交方向って壁があって比較的強いけど平行方向って弱いでしょ。

藤村|真ん中に巨大なトラス柱があるんですね。

宮本| そうですね。ただ地中梁を通せなかったので下はつながってないんですよ。独立基礎が道路側と真ん中の坪庭と裏庭の3点にあって、そこに着地させています。やじろべえと同じ原理で、真ん中から立ち上げて両側に着地させています。

藤村|橋梁のような感じですね。

宮本|そうですね。さらに将来増築したいなっていうのがあって余力を残しておこうと。そういう意志の表れでもあるんです。これくらいないと安心出来ないなって。

山崎|そういう安心の形がこうなったということですね。

宮本|それはありますね、自分で手を入れたから大丈夫だろうと。



「ゼンカイ」ハウス軸組模型 撮影:AAR編集部


木造建築の「瓦礫」

藤村|これをやられてご自身の建築観は変わったと思われますか。建築を保存するという議論は当時かなり珍しかったと思います。

宮本|「リノベーション」という言葉はなかったですね。「コンバージョン」も言わなかったかな。ただ自分のなかでは「時間を2つ重ねたい」と捉えていました。ここはもともと親が住んでいたんですよ。父方の祖父が関東から越してきたときに住み始めたのかな。住宅としてそれなりに歴史が続いていたので、それに今もう一度鉄骨を入れて今の時間を重ねてやろうと考えました。

藤村|そう考えるようになったのは震災後のことですか。

宮本|直接のきっかけはベネチアビエンナーレ(1996年に日本館に出展)かもしれない。金獅子賞を戴いたんですが批判も多くて、「破壊」を表現するのは建築家の職能じゃないだろうとも言われました。

磯崎さんが展開されていた廃墟論では、廃墟の概念は石の質量性に基づいたきわめて西洋的な概念であるという。崩れてももう1回積んだら再び構築できる。それに対して自分が思い知らされたのは、木造建築の瓦礫は瓦礫というよりも「木っ端微塵」の木っ端だということですね。石の瓦礫は積み上げ直せばいいけれど、木造の瓦礫はもう一回積み上げても何も無い。構築性もクソもないんです。

そういうところで、木造文化の国で震災後に再び立ち上がるやり方を示したい、という思いもあったんです。西洋人には思いつかないやり方を示そうと。



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