August 2010

池上高志「構造としてのアート」(1/2)

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filmachine (YCAM 2006) 提供:池上高志


池上高志氏は、「生命とは何か」をテーマに科学者として研究を行いつつ、アーティストとしても活動を展開している。かつての科学は自然現象を対象に実験を行っていたが、人工的な現象をまずデザインし、それをもとに実験を行う複雑系科学を追求する池上氏にとって、アートの果たす役割とは何か。
聞き手=藤村龍至



アフォーダンスをねじる荒川建築


藤村:昨年の12月に李さんと3人で議論させて頂いたときに、池上さんが荒川さんの住宅について語っておられたのが印象的でした。実際に荒川さんとの対談もされていたと思います。具体的に荒川さんの建築のどこに可能性を見ていらっしゃったのでしょうか。

池上:「居心地が悪い」ということが建築にとって大事なんじゃないか、ってことでしょうか。「居心地が良い」というのは自分の持っている身体性や時間、空間の知覚に対してマッチしたものから少しずらしたもの。そのような空間や時間を作ることに興味があります。

藤村:「居心地の悪さ」は、具体的にはどのように、池上さんの関心でもある生命の問題に繋がっているのでしょう。

池上:「居心地の悪さ」を意識し始めたのはサウンドアートの影響が大きくて、一緒にやってるアーティストの渋谷慶一郎さんが、以前「音楽というのは気持ち良いものだと思われているから困るんだよ」と言っていたのを思い出します。気持ち良いものというのはその場で皆喜ぶけれどもあまり記憶に残らず、どんどん流れていってしまうでしょう。強い経験、新しい経験をつくるものがアートだとしたら、確かにアートに必要なのは心地良さよりも、どうやって記憶に残るかだと思うようになりました。

藤村:なるほど。

池上:荒川さんは「リビングからトイレまで20分かかるような家がいい」と仰っていて、もしかしたら、居心地の悪さから考えるような、という意味で同じようなことを考えているのかなと思いました。それは別の言葉でいうと、いわゆるアフォーダンスをねじってやろう、ということです。良いねじり方をしてやると居心地が悪いけれども対応できないわけではなくて、そちらの方にこそ豊潤なものがあるのではないかと。

藤村:ユーザーが格闘するような状況をデザインに取り込むということですね。

池上:そうですね。藤村さんの話を聞いているとすごく納得出来る部分がある一方で、それはあまりにも建築家の立場で考えた建築だなと思いました。僕はユーザーが入って初めて完成するアルゴリズムというものも、考えたほうが面白いのではないか、と思っています。最近作ったアート作品でも、システムそのものが独立性を担保するやり方ではなくて、人や環境と相互作用することで初めて自律するようなものの方に可能性を見ています。



MTM (YCAM 2010) 写真提供:新津保建秀 (写真家)


「ゆっくりとした時間」を含んだシステム

藤村:その「最近の作品」というのは具体的にどのようなものでしょうか。

池上:2010年の3月から6月にYCAM(山口メディアアートセンター)で展示された「マインド・タイム・マシーン(MTM)」というものです。この中で流れる映像は、ニューラルネットワークのダイナミクスで制御され、ループするヴィデオ・フィードバックが作りだす、直線的ではない時間、因果的な時間とは違う時間を構成してやろうとしました。加えて非同期で動くモジュールどうしをコミュニケートさせることで、ある種の持続性を保つために何が出来るのかを考えようとしました。
持続性とは、システムが不安定であることが持続するということです。不安定性は失われやすく、失われると環境に対する適応性がなくなってしまう。つまり不安定であることを安定に保つ機構、それがシステムの持続性です。ここではさらにそれを「主観的な時間」と結びつけて考えています。つまりこの持続性が、主観的な時間をつくらせているのではないか、ということです。主観的な時間は、環境との「つじつま合わせ」だけではなく、むしろ「つじつまを合わせなくなる」役割もあるのではないか。そんなふうに考えています。
もう少し踏み込んで言うと、今までに扱って来た時間変化よりも「ゆっくりとした時間」を含んだシステムに可能性を見ています。生命は同じ状態を保たなくて、常にどっちかの方向に変わっていくじゃないですか。ある方向に変わらざるを得ないけれども、ゆっくりゆっくり変わっていく、ということがもたらすシステムの有り様を考えたい。

藤村:今の「主観的な時間構造」の話や変化を前提にしたシステムの話と、荒川さんの建築への関心はどのように連続するのでしょうか。

池上:荒川さんはアフォーダンスのねじり方で、今までと違う知覚をつくっていたと思うんですが、僕がやっているのも、既存の時間のスケールだけでつくるのではない。空間に放り出すことによって、自然と時間が出来てくるようなものを考えるということです。僕も違った形でアフォーダンスを捻っているんだと思います。

藤村:なるほど。人間がどう物事を知覚するのかという話と、時間概念をどう捉えるかということが関係しているということですね。

池上:そうですね。たとえば現代社会においてウェブやコミュケーションツールがいっぱい出てきて、人の持つ時間のスケールを短い方向に変えていく中で、「長い今という時間」をどのように捉えられるかという話がLRAJ2010での議論にもつながるかと。



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