February 2012

青木弘司+伊藤暁 「私たちが地域性を再考する理由」 1/2

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以下は、 2011年12月に行われたトークイベント「建築と地域性」開催にあたり、企画者のふたりの間で交わされた、地域性をめぐる対話である。



3.11以降の主な建築家の議論は、縮退する都市の現状や社会構造を捉えようという内容です。その問題自体は大変意義深く、今後も膨大な時間を割いて議論が行われるべきでしょう。しかしながら、同時に我々は、個別的な実践の場に日常的に身を置き、日々建築を創作しています。特に我々若い世代のその日々の実践の内容は、たとえば小さな住宅の設計や店舗のインテリアのデザイン等に留まっています。

私たちが危惧しているのは、そのような個別的な実践の中で見出される創作の主題と、都市の様々な問題や建築が依って立つ下部構造を捉えるような大きなテーマが乖離しているように感じられる点です。特に創作の主題としての、いわゆる空間論(空間の構成や性質に関する事柄、身体やマテリアルに関わる問題)が大きな議論の枠組みから取り残されているような印象を持っています。

私たちは、今を生きる建築家として、新しい創作の論理を構築したいと思っています。その論理の射程は広く、たとえば住宅の空間の構成や性質の問題に言及しつつ都市の下部構造にアプローチするような、様々な立場を行き来する跳躍力に溢れた開放的なイメージを抱いています。
今回は「地域性」に注目することで、このような開放的な論理を導き出すための議論を展開したいと思っています。

青木弘司+伊藤暁



第1信:青木>伊藤

先日のブレストをふまえ、今のところ想定し得る議論のフレームをスケッチしてみました。以下ご確認下さい。

建築の発想の立脚点として、乱暴なのは承知の上で分類すると、現状では以下の立場を想定して議論(または創作)が行われていると捉えることができます。

(1) 社会学/都市論として捉える立場 【都市空間】
 →状況論、社会学、都市の下部構造
(2) 抽象論として捉える立場 【抽象空間】
→プリミティブ、100年後の未来、“The Man”の空間、(物)化した建物

以上の立場から抜け落ちている第3番目の視点が、今回注目する「地域性」から捉える立場です。

(3) 地域性から捉える立場 【場所】
 →コミュニティ、共有性、地域社会、慣習、生活、“People”の空間、〈生きられた家〉

やや大雑把な捉え方ですが、20世紀に建築家(に限りませんが)が積極的に取り組まなかった枠組みとして「地域性」を位置付けたいと考えています(東日本大震災を契機に、その重要性が浮き彫りになっているように感じられます)。

そして、この地域性を捉える(3)の立場に注目しつつ、そこから(2)の空間論に自由に架橋できるような、新しい建築の創作の論理(概念)を浮かび上がらせるための議論を展開できれば、と考えています。そのような論理の構築の回路が担保されれば、今度は(1)の都市論と(2)の空間論をブリッジさせる想像力を見出すことができるのではないか、と思っています。



第2信:伊藤>青木

ちょっと加筆修正させて頂きました。ご確認下さい。
・「都市空間」と「抽象空間」のキーワードに、個人名を書き加えました。イメージは掴みやすくなるのではないかと思いまして。
・「場所」のキーワードに「環境」を入れてみました。



第3信:青木>伊藤

これは良いと思います。
ただ、やはり「都市空間」の代表選手が磯崎新というのはいろいろな意味で誤解を生むかもしれないね。まあ誤解を生むということは、それはそれで良いとも言えるのですが。そもそも僕は「都市空間」に書き添えるキーワードが足りないなぁと思っています。(いや、このあたりは僕の苦手分野でして)追記できるキーワードって他になにかないですかね。

「抽象空間」や「場所」に添えるフレーズはバンバン浮かぶのですが、まあ、このアンバランスな感覚が、そのまま今の僕の創作感なのかも知れないと妙に納得してしまうわけだけれど・・・。また、藤本壮介を付すのは議論が広がりそうですね。現に「抽象空間」に立脚しながら、「場所」との交通を図るというのが彼のスタンスですから。各立場をブリッジせよ、というひとつのイメージを語る時の導入としても分かりやすいですね。

しかしながら僕が少し引っかかるのは、(3)の立場に根差した身体性も想定できるということなのですが(つまり“People”)、書き方として、(2)「抽象空間」のところには‘“The Man(抽象化された身体像)”の空間’と入れて、(3)「場所」のところには‘“People(住民=ユーザーの身体像)”の空間’というふうに入れるということでいかがでしょうか。



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