April 2010

泉太郎「コントロールできるもの/できないもの」(1/3)

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聞き手=藤村龍至

泉太郎氏の映像作品「さわれないやまびこの眺め」は、泉氏の作品を街の人に見せてその反応をインタビューし、その反応をさらに3人のボランティアに聴かせて次の作品を制作してもらうという作業を6回繰り返したものである。作品の印象が言葉になって伝えられていくうちにどんどん変型していくという他者性を内包したその制作プロセスは、都市設計のそれに近いともいえ、作家のあり方としても興味深い。そこでここでは、泉氏にその制作意図をじっくり伺うことから、その問題意識を掘り下げていくことにした。(藤村龍至)


ちょっとずつずれてしまう

藤村:まず「さわれないやまびこの眺め」をめぐってお話を伺いたいと思うんですが、あの作品は、いわゆる作家が作品と向かい合うという形よりは、色々と他者が介在しているので、私たちからすると建築のつくり方にも近いなという印象を持ちました。建築は図面がクライアントにいって、施工者にいって、その施工者の下請けに渡ってというように、色々な人づてに考えが伝わりながら物を作り上げますが、ああいった、いわば伝言ゲーム的な構造の作品を作られるきっかけは何ですか。

泉:なんだろう。1つはあの展覧会をする前にタイで展示をしたときに展示ブースをタイ人の人に作ってもらうところからはじめたのですが、僕は英語がダメなので、筆談みたいな形とか、ドローイングを書いたりして伝えながら、段々とズレたり、またそれを正したりしながら作り上げたのが面白い体験だったというのがあります。


「さわれないやまびこの眺め」インタビュー風景


藤村:普通は指示をしてその通りにやってもらわないとフラストレーションが溜まると思うんですけれども、そういうフラストレーションはなかったですか。

泉:フラストレーションも少しありましたが、出来上がる過程で徐々にアイディアを考えたり、そこで何をするかを考えたほうが、面白いような気はしたんですよね。

藤村:だんだんずれていくことが面白いという風に感じられるようになったんですか。

泉:ずれたりずれなかったりというか、自由だったり不自由だったりという、両方のせめぎあいが面白いのかな、と思っています。
藤村:なるほど、「さわれないやまびこの眺め」というのはすごく象徴的なタイトルで、確かに普通のコミュニケーションも、エコーみたいな感じもありつつ、それに触れないという感覚もありますね。

泉:ネットでもそうだと思うんですけど、自分の作品について書かれた文章を見て、情報だけで人が想像していくことが普段から起こっている。面白いし、不気味でもあります。


「さわれないやまびこの眺め」インタビュー風景


つくることそのものへの批評

藤村:こういうやり方で制作したのは今回が最初だったんですか。

泉:そうですね。

藤村:なんというか、その構造そのものが昔、磯崎新さんの「海市」のインスタレーションを思い起こします。中国の沿岸に仮想の都市があったという想定でそこに2週間ぐらい週替わりで色々なアーティストや建築家の人が来て、それぞれが思い描く都市を作って受け継いでいくというものです。実際の都市がその時代時代で都市計画が行われて建築が作られていくメタファーなのですが、他者性を内包して物を作っていく感じが泉さんの作品にも共通していますね。
他方で建築や都市計画の場合だと、やはり計画的な側面があって、色々な方向に流れていきながらもある目標を達成したり成果をだしたりしなくてはいけない。泉さんの作品のなかでは3人ずつの伝言ゲームで作っていくなかで、泉さん自身がコントロールする感じというのはあるんですか。

泉:コントロールしたくないと思ってそういうシステムにしたんですけど、ただやっぱり大きさとか、時間、僕の展示という枠もある。しかし設定された枠、制御から外れていくところも大切なので、方向性を決めるような操作はしませんでした。

藤村:粟田大輔さんは「作品の中にシステムが埋め込まれている」というような表現をされていましたが、泉さんの作品の中には人の動きに対してルールを課していくという思考が共通していますが、いかがでしょう。

泉:そうですね。作ること自体に対する批評というのも込めて、はみ出すものを楽しみながらもルールが必要だと。感覚的に僕が彫刻を作って、それがなんとなく面白いというよりは、それがどういうふうに出来上がっていくのかとか、疑いも込めつつ作っています。

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