March
2010
特集「アーキテクト・アーティスト」
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木内俊克「『汚い』システムをめざして」(1/2)

本サイトのオフィシャル・ブロガーを務めて下さっている木内俊克氏は現在、フランスの建築家集団R&Sie(n)のアソシエイト・パートナーとして活動している。R&Sie(n)の作品の一見過激な形態は、シナリオを重視し、プロジェクト毎のシチュエーションと対話しながら論理的な検討を重ねていった結果生み出されているものだ。ここでは、アルゴリズミック・デザインはいかなるストーリーとともに私たちの日常に実装可能なのか、その論理的世界でいかにコミュニケーションの活性化状態をつくりうるのか、などについて話し合った。(藤村龍至)
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From: Ryuji Fujimura
Sent: Friday, January 29, 2010 9:51 AM
To: KIUCHI Toshikatsu
木内様
今回はまず、木内さんとアルゴリズミック・デザインをめぐる設計観や、方法論的な可能性について意見交換させて頂ければと思います。
今、話し合わなければならない問題として、「コンピュータライゼーションをどう捉えるか」という問題があると思います。組織、ゼネコン系ではBIMが広まりつつありますが、R&Sie(n)をはじめとして、欧米のアルゴリズム派はファブリケーションとの結びつきに特化しているようにも見えます。
個人的には、アルゴリズム系の試みが、フォルマリスムに陥らずに、より広い文脈でコンピュータライゼーションをとらえる可能性を考えたいと思っています。
つまり、「何のためにアルゴリズムを使うのか」というストーリーをもっと語って行きたいと思っています。
木内さんはアルゴリズムやコンピュータライゼーションに関して、どのようなシナリオを描きうると感じていらっしゃいますか。
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From: KIUCHI Toshikatsu
Sent: 2010年1月31日 23:50:14:JST
To: Ryuji Fujimura
藤村様
これは私個人の見解ですが、第一に重要だろうと思うのが、コンピュータライゼーションがもっとも直接的に変化をもたらしたのは、いうまでもなく私たちの情報制御のあり方に対してで、それゆえに、人と人の間の伝達行為と呼べるあらゆるものに対して、その影響は色濃い変化をもたらしたし、好むと好まざるとこれからもその変化は加速していくのだろうと考えます。
建築に限らず、元来からデザインという行為は、1.物や出来事がつくられる際に、複雑に関係づけられた、あるまとまった指示の組み合わせをつくり、>2.行程(完成後まで含めた)全体における人や物の流れを制御する、あるいは意図的に制御しないことで、>3.どれくらいの時間、労力、対価によってその物や出来事がなされるかを調整し、>4.それを享受する人々や社会的・歴史的・物理的な空間の中に生じる関係性を、明確な価値を担保しうる方向に導く、あるいは意図的に導かないことと言えると思いますが、上の意味で、コンピュータライゼーションはこのデザインに含まれるどのレベルにも変化をもたらすものである、常識的なことかもしれませんが、ここからまずスタートしたい。
言い換えれば、コンピュータライゼーションを考える切り口は、上でいうデザインのあらゆるレベルからそれぞれに捉えることができるし、そうであってはじめてその本格的なインパクトを認識できるようになるのだと思います。
ファブリケーションに特化したコンピュテーションの活用にせよ、BIM系列のシステムの導入にせよ、基本的な動機は、上でいう1−3にあたる指示の作成/制御/調整の作業を精密化すると同時に効率化し、4で目指すところの方向により確実に、かつ経済的に辿り着く、というところにあるはずです。問題は、いかに精密化や効率化を可能にすることのできるツールを持っていたとしても、あくまでそのシステムが明確な方向(方向付けない、という選択肢も含めて)にむけられたものとして構築されない限り、即物的な事物の調整作業以外の何ものでもなくなってしまうというところです。
別の言い方をすれば、各行程に割り当てられた一まとまりの指示、これを小さなアルゴリズムと捉えれば、その小さなアルゴリズムを構成部位とする何層かのより大きなアルゴリズムが介在しているべきで、抽象的な言い方になりますが、そこでの大小のアルゴリズムがフラクタルな構造をもち、同じ方向にむけられているとき、はじめてそこに明確な価値が生成される、この点はきわめて重要だろうと思います。

では具体的に、フラクタルに重層するアルゴリズムによるデザインはいかにして可能なのか、また、そこで担保されるべき価値とは何か、こういった問いが設定できるだろうと思います。
ここからはR&Sie(n)でのプロジェクトをとおして考えていることとも重なりますが、まず、アルゴリズムによるデザインを考える上で私が今最も興味深く取り組んでいることの一つに、「汚い」システムの可能性というものがあります。
プロジェクトの初期段階では、与えられた条件の分析から読み込んで、何らかの方向性を模索するべく、主要なパラメータを取捨選択しながら、いくつものシステムを組み立てては壊す試行錯誤を繰り返すわけですが、その作業をとおして徐々にプロジェクトの骨格となるシステムが生成されてくる一方で、どのパラメータがそのシステムとは整合性をもたないのかも顕わになってくる。
このとき、そのパラメータを切り捨てず、また無理に取り込もうとするのでもなく、あくまで非決定主義的に、むしろ個別の挙動を増長するような別のシステムを与え、骨格となるシステムとの干渉の結果生じてくる突然変異的な部分を、あえて豊かさとして受け入れていく。アルゴリズムとしては「汚い」かもしれないけれど、未知の領域を予定調和的に除外するのではなく、プロジェクトの部分がもつ自由な振る舞いをゆるやかに受け入れていく。各部分が干渉された結果として生じる変異は、あくまで骨格となるシステムの「作用の痕跡」を備えていて、逆にその骨格を浮かび上がらせるような特質が生じる。
こういった手続きの反復により、ゆるやかに接合しあう複数のシステムを非決定主義的に模索するアプローチには、大きな可能性があると考えます。
なぜ取り立ててこういったアプローチに興味をもっているのかというと、それは現代においてデザインが担保するべき価値とは何か、という問いに発しています。
コンピュータライゼーションが、デザインという限定したフィールドをこえてもたらした功罪は、冒頭にも触れたように、情報処理能力全般の圧倒的な向上であり、それにともなって私たちにとっての価値は、相対的な関係性の中に本格的にうつりつつある、そう考えています。ある価値観の形成に関わりうる様々な要素が増え続ける社会においては、多様性/多元性/個別性の最大化が保障されながら、なお相互のバランスが保たれているような、そんな事物のあり方が求められると考えていて、そこでは一見矛盾しあう要素間の干渉作用を、非決定主義的に、しかしシステマティックに包含するゆるやかなロジックが圧倒的に有利なはずです。
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From: Ryuji Fujimura
Sent: Wednesday, February 10, 2010 12:53 AM
To: Toshikatsu KIUCHI
木内様
確かに、コンピュータはデザインのプロセス全体を見直す契機となっていますね。そのうえで、「汚い」システム」の可能性という論点は、とても興味深いです。ミニマリスムを批判し、複合性・対立性を肯定するという意味でロバート・ヴェンチューリのデザインプロセス版という印象を持ちました。
未知の領域を予定調和的に除外するのではなく、プロジェクトの部分がもつ自由な振る舞いをゆるやかに受け入れていくという「作用の痕跡」について、なんとなくイメージは湧くのですが、何か具体例を挙げて解説して頂けませんか。
むしろ「自由なふるまいを除外しない」というイメージが意外と難しく、アルゴリズムが条件との対応の過程でステレオタイプに収束してしまうことも多いと思うのです。「自由なふるまい、ランダムなふるまいをさせる」仕掛けあるいは判断があるのではないかと想像します。
私の言葉で言うと工学主義と批判的工学主義の違い、線形プロセスと超線形プロセスの違い、
ということになるのですが、ミニマルで合理的だけれども形骸化しているステレオタイプを回避して、「汚い」というある種の活性化状態へ誘導する方法はどのようなものだと考えていらっしゃいますか。
つづく