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藤井 亮介

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「NO MAN'S LAND」は誰のものか?

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旧フランス大使館において開催された
『NO MAN'S LAND』(2009/11/26~2010/2/18開催)
の展示を見てきました。

この展示はかつて大使館として使われていた建物を、
現代アートの展示場所として再生させようという試みのもとで行われた企画です。
そもそも「大使館の土地」というのは極めて特殊で、
現在旧フランス大使館が建っている場所も、
日本に存在しているにもかかわらず「外国」と見なされていた土地でした。
このような、かつては別の国によって所有されていた空間が、
一時的に「誰のものでもない場所(*)」
として存在している事そのものを
現代アートのコンテクストとして描くことはできないだろうか、
というのが今回の展示の大きなテーマだったように思います。

(*実際には土地の所有は日本の民間企業に移っています)



「誰のものでもない場所」というのは
一見すると純粋で、健康的で、自由なイメージがあるかもしれません。
自由であるという事は、
言い換えると、束縛のない、いわば宙に浮いた状態でもあります。
今回の企画である「NO MAN'S LAND」は
まさにフランスと日本の間で浮遊している状態の中で作られたアートによって
それぞれの文化の橋渡しをするという意味も含まれており、
展示された作品にはそれらを真摯に受け止め表現していたものも少なくはありません。

ただし今回僕が取り上げたいのは、
所有の概念が浮遊した状態のなかで両者をつなぐことを意図した作品ではなく、
あえて所有の「主体」について言及した作品です。
つまり、ここは「誰のものでもない場所」ではなく、
やはり「誰かのものである場所」なのだということを感じ取れた作品の方が、
むしろ展示のテーマに応えているような気がしたのです。



展示の中でも特に印象に残っているのが、
空間は元のままほとんど手を加えず、ただ規則的に石が置かれてある作品。
石の間隔は規則的だけど、
その軌跡は床から壁、棚へとゆっくりと這う足跡のように配置されており、
空間から人が去った後の新たな住人として石が存在しているようでした。
また窓や棚など人間のためのしつらいも、
空間の主体が人間から石へと移ったせいで
時間やスケールの感覚までもが違っていたように思えます。

また部屋の中全体をシュレッダーされた辞書で埋め尽くしている作品や、
屋上庭園に舟形の穴を掘り、コンクリートを流して固めた後、
再びコンクリートを土もろとも持ち上げた作品などにも共通して言えるのは、
国や人間という従来の場所の所有者や主体から空間を捉えるのではなく、
「別の所有者/主体」の視点を示すことによって
空間がもっと生き生きとしたものになる、
という考え方をしているという事です。



かつて行われた『カフェ・イン・水戸』というイベントの中で
アトリエ・ワンは『植物の家』という作品を手がけています。
これは過疎化の進む水戸の商店街・住宅街で
「リノベーション」という手法が最も有効に働くのは、
主体を人間ではなく植物に変えることではないだろうか、
という考え方のもとに、
「建物」を美しく甦らせるのではなく、
「植物」が気持ちよく育つよう「半解体」したというプロジェクトです。
これは過疎化された場所で人間がいなくなった今、
建替えや新築によって街を活性化させるのではなく、
植物をも街の主体として捉える事で、
過疎化をポジティブに建築化した好例だと思います。

建物の解体前の展示といえば、
マンガ家集団mashcomixによる
『mashcomix house』というプロジェクトもありました
(メンバーのHogaleeさんは今回の旧フランス大使館の展示にも出展されていました)。
これは建物そのものをマンガのコマに見立て、
mashcomixのメンバーたちが壁や床、ドアからコンセントまで
ありとあらゆるものを使って文字通り縦横無尽にマンガを描いたプロジェクトです。
それぞれのキャラクターは描き手によって異なりますが、
まったく別々のキャラクターが建物の形態によって関連しあったり、
壁面のなかを動いていたキャラクターたちが突然3次元の世界に干渉してきたりと、
とにかくマンガによって建物が使い倒されている。
この建物の中では我々はあくまで異邦人であり、
建物の主体は描かれたキャラクターたちに応じて細分化されているのです。



情報化社会を生きる我々にとって、
モノや空間の所有の概念は解体の一途を辿っています。
しかし、だからと言って、
それらが「誰のものでもなくなる」わけではありません。
そこには見えにくいけれども、
何か別の主体たちが確かに存在しています。
モノや空間をつくるということは、
これらの見えない主体、あるいは細分化された主体を発見し、
彼らのための手法を導くことなのではないでしょうか。

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