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「科学的」な創造力
今回は先日森美術館で開催された『医学と芸術展:生命と愛の未来を探る』と、
金沢21世紀美術館で開催された『オラファー・エリアソン あなたが出会うとき』
という二つの展覧会のクロスレビューを書きたいと思います。

まずは『医学と芸術』展について。
展覧会のタイトルにも掲げられた2つの概念の関係は、普通に考えると
医学=人間を読む/分析する 、芸術=人間を描く/表現する
という図式が思い浮かびますが、展示ではそれを踏まえた上で、
医学の芸術性や医学的アプローチの芸術まで広くカバーしており、
医学と芸術を双方向にクロスオーバーさせるというキュレーションが際立っていました。
一見すると「医学は芸術のプロセスである」と言いたくなるのですが、
医学と芸術の関係はもっと別の言葉で表現できそうです。

かつてダ・ヴィンチは人間を描く際に、
人体の骨格や動作の原理など、表面に表れてこない「構造」を分析する
という姿勢をとっていました。
このような、表現のための分析行為は遥か昔から現在まで続けられていますが、
結局のところ「人間とは何か?」が分からない以上、
永遠に終わることがありません。
もちろんここでいう「人間とは何か?」という問いは
あくまで医学的な見地に基づく物体としての人間の構造についてですが、
それでも未だに解明されていないことが多すぎるのです。
それゆえ、人間を読む/分析するという行為については
アプローチもプロセスも多方向のベクトルを持っており、
もはやそれに対して何かしらの解答を導き出すことは、
ひとつの「表現」になると言っても言い過ぎではありません。
『医学と芸術』展の出展作品はこのような表現=創造の結果であり、
またそれは分析的な表現という意味で、
「科学的」な創造と呼ぶこともできると思います。
一般的に ものを構築/統合する概念は工学であり、
科学とは ものを分析/解体する概念であるとの認識が強いため、
「科学的」な創造というのは、概念として矛盾しているような印象があるかもしれませんが、
今回のこの展示を体験したことで、芸術や表現を語る上では
工学ではなく科学に着目することの方がむしろ重要なのではないか
ということに気づかされたのです。

「オラファー・エリアソン」展でみられた作品群は、
単純な原理から未知の現象を作り出しているという意味で構築的とも言えるのですが、
その原理がブラックボックス化されていないため、
作品を分析する行為も同時に体験できる、という側面もあります。
もちろん作品を純粋に感じると同時に、その原点について考える行為は、
一般的なアートの鑑賞法ではあるのですが、
遡った原点が作家に依存するものではなく、
客観的な「原理」に行き着く、という点で違いがあり、
しかもその追跡可能性が誰に対しても開かれている事が彼の作品の特徴でもあります。
(伊庭野のブログ参照)
このような構築的であり、かつ分析的でもあるという作品は
まさに工学と科学を架橋する存在だと言えると思います。
人間を知るための医学に終わりがないように、
自然や世界を知るための科学にも終わりはありません。
また、今の世界を知りたいという欲望とは別に、
新しい世界を見たいという欲望にも限りはなく、
だからこそフィクショナルな科学(SF)は生産され続けています。
僕にとってSFの存在意義は、
設定されたルールからいかにして新しい世界をつくるか、
という工学的な側面からではなく、
作られた新しい世界と設定されたルールがどれだけリアリティを持ってつながっているのか、
という科学的な側面から考えることが重要だと思っています。
様々なインターフェイスによって拡張された現実が存在するこの世界では、
むしろ現実世界へと遡る「科学的」な創造力にこそ面白さを感じるのです。
金沢21世紀美術館で開催された『オラファー・エリアソン あなたが出会うとき』
という二つの展覧会のクロスレビューを書きたいと思います。

まずは『医学と芸術』展について。
展覧会のタイトルにも掲げられた2つの概念の関係は、普通に考えると
医学=人間を読む/分析する 、芸術=人間を描く/表現する
という図式が思い浮かびますが、展示ではそれを踏まえた上で、
医学の芸術性や医学的アプローチの芸術まで広くカバーしており、
医学と芸術を双方向にクロスオーバーさせるというキュレーションが際立っていました。
一見すると「医学は芸術のプロセスである」と言いたくなるのですが、
医学と芸術の関係はもっと別の言葉で表現できそうです。

かつてダ・ヴィンチは人間を描く際に、
人体の骨格や動作の原理など、表面に表れてこない「構造」を分析する
という姿勢をとっていました。
このような、表現のための分析行為は遥か昔から現在まで続けられていますが、
結局のところ「人間とは何か?」が分からない以上、
永遠に終わることがありません。
もちろんここでいう「人間とは何か?」という問いは
あくまで医学的な見地に基づく物体としての人間の構造についてですが、
それでも未だに解明されていないことが多すぎるのです。
それゆえ、人間を読む/分析するという行為については
アプローチもプロセスも多方向のベクトルを持っており、
もはやそれに対して何かしらの解答を導き出すことは、
ひとつの「表現」になると言っても言い過ぎではありません。
『医学と芸術』展の出展作品はこのような表現=創造の結果であり、
またそれは分析的な表現という意味で、
「科学的」な創造と呼ぶこともできると思います。
一般的に ものを構築/統合する概念は工学であり、
科学とは ものを分析/解体する概念であるとの認識が強いため、
「科学的」な創造というのは、概念として矛盾しているような印象があるかもしれませんが、
今回のこの展示を体験したことで、芸術や表現を語る上では
工学ではなく科学に着目することの方がむしろ重要なのではないか
ということに気づかされたのです。

「オラファー・エリアソン」展でみられた作品群は、
単純な原理から未知の現象を作り出しているという意味で構築的とも言えるのですが、
その原理がブラックボックス化されていないため、
作品を分析する行為も同時に体験できる、という側面もあります。
もちろん作品を純粋に感じると同時に、その原点について考える行為は、
一般的なアートの鑑賞法ではあるのですが、
遡った原点が作家に依存するものではなく、
客観的な「原理」に行き着く、という点で違いがあり、
しかもその追跡可能性が誰に対しても開かれている事が彼の作品の特徴でもあります。
(伊庭野のブログ参照)
このような構築的であり、かつ分析的でもあるという作品は
まさに工学と科学を架橋する存在だと言えると思います。
人間を知るための医学に終わりがないように、
自然や世界を知るための科学にも終わりはありません。
また、今の世界を知りたいという欲望とは別に、
新しい世界を見たいという欲望にも限りはなく、
だからこそフィクショナルな科学(SF)は生産され続けています。
僕にとってSFの存在意義は、
設定されたルールからいかにして新しい世界をつくるか、
という工学的な側面からではなく、
作られた新しい世界と設定されたルールがどれだけリアリティを持ってつながっているのか、
という科学的な側面から考えることが重要だと思っています。
様々なインターフェイスによって拡張された現実が存在するこの世界では、
むしろ現実世界へと遡る「科学的」な創造力にこそ面白さを感じるのです。
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