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02月 08日 07:10   /  FDmountwill_millsの日記
[社会] #LRAJ2010 Ust配信 PCの前でぶっ続けで見た

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『家の外の都市(まち)の中の家』展ゲストトーク レビュー


レポートはこちら。
以下からは、松島のレビューになります。






トークの前提にもなっている通り、
建築とは、言語とは別の情報体として、独自に世界を認識することが出来る「方法」である。

そして、ときに建築がつくる「場」とは、人間が生まれたときから否応なしにスタートする
壮絶な「言語による世界の切り分け」から解放されて、
生物、動物としての滑らかな身体的時間(=流れ)を享受・謳歌するための手段である。


今回のトークは、意識偏重のためにセルでピクセライズされた現実空間から
滑らかな世界を取り戻すことの重要性を問う内容であったが、
この情報をまた偏重させて、
「一人歩きする情報をすべてモノに孵して、人間をただ身体的に、
 ダイレクトに世界を享受していた原始の時代に戻すことが幸せなのだ」
という論に回収してはいけない。


事実このゲストトークは言語で情報を共有・理解するために設定された空間・時間であるし、
2人から次々と発される一つ一つの単語表現、
フレームで整理された情報はあまりにもわかりやすかった。
言葉による定義、そしてアナロジーによる物事の咀嚼力はいつだって圧倒的だ。

そしてこのレポートは、言葉によって
[ 9月4日のオペラシティアートギャラリーのなかの僕の身体 ]
という限定的な空間と時間を超えて、色々な人と議論に接続するための手段である。

つまり連続のためにも言語は力を発揮する。



あくまでも問題とされているのは、
言語というもののコストパフォーマンスの良さに対する依存体質である。
何のためにモノから情報を剥ぐかと言えば、
他の情報と掛け合わせるためにモノの持つ複雑な情報の総体を
手っとり早く表すためなのであって、
つまりは象徴とはコストカットのテクニックなのだ。


震災後、世界はノンフィクションに戻り、情報が一時的にモノに出戻ったとき、
これまでコストカットに無自覚であったために逃れられた
ひとつひとつの膨大な情報を扱うことの「しんどさ」が圧し掛かる。

そして同時に資本主義のオーヴァードライヴ、
とてつもないスピードで展開していく情報化社会によって
象徴化・頭化していた現実空間に気づかされる。


ところがそれでも身体は変わらない。
震災以前/以後ですら相変わらずトボけたままでいてくれている。
この暴走気味に突っ走る現実に、ある意味間抜けな身体が対峙するためには、
やはりこれまで延々と環境の身体の関係を整え続けてきた
建築がチューニングしなければならない。


つまり建築とは「言語の必要のない世界」の実現行為なのではなく、
言葉・象徴(頭)と場(身体)のバランスを取り持つチューナーであり、
チューニング行為そのものなのである。






塚本さんがいくつかの質疑回答で答えたことを総合すれば、
設計行為とはシャーマンワークとフレームワークとの往来であり、
今ここの場のためのイタコでありながら、
今ここ以外にメタで存在する人類の経験的フレームを適切にレイヤードする行為である。

そして今回柳澤さんが指摘したことは、
フレームワーク偏重の建築設計が現実空間にそぐわなくなっていることの危惧、
つまりチューナー設計側のバランスに対する問題提起であったとも言えるだろう。


このトークを聞き終えて、設計者側の立場として、
「自らがチューニングされている状態でいなければおかしいだろう」、
という責任を感じるとともに、
たぶんそれはきっと「素朴に世界を楽しんでいること」と同義なのだろう、
というオプティミスティックな感覚も得ることが出来た。


+++

セルによる高解像度のビットマップグラフィクスも、
ベジェ曲線による滑らかなベクターグラフィクスも、
どちらも世界を描くための手段であり、認識し、愛するための手段だ。

言ってしまえば「知るか」「感じるか」程度の差異でしかないものだが、
現実に応じてそのバランスを継続的に調整していかないと、
すぐに人間は世界から疎外された感覚を覚えて生き難くなるほどに弱い。

そのとき、チューナーというささやかな装置に過ぎない建築こそが、
どこまでも人間とともにある、という意味において
「そばに立っている強いもの」になり得るのである。


+++

レポートに戻る

『家の外の都市(まち)の中の家』展ゲストトーク レポート


東京オペラシティ アートギャラリーで開催されている
『家の外の都市(まち)の中の家』展
2011年9月4日に行われたゲストトーク・サイクル:
『柳澤田実[哲学者]×塚本由晴[建築家(アトリエ・ワン)』に行ってきました。

レポートとレビューをそれぞれのエントリにて記したいと思います。
レポートパートはメモ書きのようになっている部分もありますが、何卒ご容赦の程を。



■柳澤田実さんプレゼンテーション:『風に吹かれるための場所』






【生(ライフ)の「流れ」について】

これまでは、人間が"生きもの"として生きていること、
自分の生を構成している"流れ"に無自覚だった。
しかし3.11の震災以降、放射能汚染を意識することで、皮肉にも「風と水の流れ」という、
生において圧倒的に意味を持った事象に対して否定的に敏感になっている。


哲学領域における
・フッサールの「生活世界」=生きていることの経験的土台
・ハイデガーの「世界内存在」=人間が世界(モノ、コト)のなかに統合して生きていること
これら「世界に開かれ住まう私たちのあり方を回復すること」が、
3.11以後に突然、誰もが具体的に意識させられるようになった。


そこで、人類学者:Tim Ingold の
『Being Alive(生きていること)』
という著書で提唱されている概念を参照する。

ドゥルーズ&ガタリの
「人間は元々の線を分割し、絡まずに円環をつくって内外をつくっている」
という言葉を引用し、インゴルドはこれまでの人間存在を

「organism」=「セルとしての閉位相」
のイメージから、
「going on」=「線的な動きを持つもの」

すべてが「はじまりの連続」である、という捉え方へ転換することを提唱した。


animism
animic cosmology
animic ontology

つまり生物を
× セルとしての有機組織
○ 動くもの
と定義する。


「生命は物質のなかに吹き込まれている」という
キリスト教的概念は閉位相的な世界の見方であり、
「すべてが今ここでの生成」という捉え方をする。

内在主義、決定論の否定。
行為主体(agency)概念の無効化。
すべて動いているものは空気の流動によって動かされている。
凧揚げのイメージ、極端に言えば呼吸も空気の流動である。

「名詞+動詞」ではなく、「すべてが現在進行形の動詞」の世界。






【建築とanimic ontology】

象徴性を超えたanimismの建築とは、世界の構成要素を「動き」として捉え、
その動きによって我々を「生きさせる」建築ではないか。

絡み合う線、絡み合う生の流れを感じさせる(させてくれる)場所をつくること。
私たちには見えなくなっている「生の流れ」を
再認するための場所がいま必要なのではないか。
3.11以後、その「流れ」を否定的に「意識」し続けるのはしんどい、
が、せざるを得ない状況になっている。


建築は、自然に、肯定的に「生の流れを感じさせてくれる」存在であるべき。
宮下公園における環境、人々、車、その他様々な都市の構成要素が
立体交差している様子を見ると、アトリエ・ワンの建築はその領域を獲得している。

建築は意識を離れた生活のためにこそあってほしい。
ただ生きていることを感受できるよろこび、
「風=霊に吹かれる場所」としての建築を考えたい。






■柳澤さんから塚本さんへの質問とその回答

Q
特定の場所(敷地)を見た際に、
場を構成する「動き=流れ」をどのように読んでいくのか?


A
場を読む、ということにおいては生態学的観点を用いている。

「生物学」はウサギを台の上で器官に解剖して理解すること
「生態学」ウサギのふるまいを観察して総体の情報を理解すること

著書:『空間の響き/響きの空間』で書いた「カブトムシ採集」の話。
採集の行為を読み解くと、
カブトムシを探しに行くのではなく、彼らの好きな環境を探しに行っている。
彼らに乗り移り、彼らの振る舞いを想像することで「場を読んで」いる。
イタコ的に乗り移ってみるのが楽しいやり方であり、
環境の流れを読まずに自己参照し続けるような建築は結果としてやせ細ってしまう。

アニミズムは言語化しても誰にも真剣に受け取られないくらい、素朴な概念である。
それを形としてリリースし、最も強力な説得力を発揮できるのは建築の特権である。

それと同時に、物事を抽象的に捉えないように捉えないようにしている。

そのために人間の認識モデルとしての「閉位相の内と外」という
ある種の象徴、フレームを描かないと現れてこない概念をわざと設定して、
自分を不自由にして局面や条件を乗り越える方法もある。
このずるいフレーム設定の使い分けに建築設計の面白さがある。



Q
「空間」という言葉はアトリエ・ワンにとって親近感があるものなのか?
「空間」が表現するところの間が空っぽなイメージではなく、
充填しているものたちの交通整理をしているように見える。


A
「空間」にはある種の懐疑心を持っている。
空間は近代に発明された概念である。
サイバネティックスにおいて、情報がモノや場所から剥がせるように
空間という概念が用意された。
空間がdisembodiment(身体・モノからの離脱)
というリバース・エンジニアを成立させている。

しかしその手段としての空間ではなく、becoming(成る)ということが重要だと考える。

離脱した情報が表象、象徴を作り上げてしまう。
そこに依存せず、情報と母体が揃っている状態へ
禁欲的に巻き戻さないと不幸なこと、不自然なことになる。

本来建築は対象化されず、環境化されるべきである。
対象とされない次元を持っていることが他の芸術との決定的な差異のはず。
ハイデガーの日常から逸脱したいという論に対して、
非日常の状態は、建築の原理と矛盾してしまう。
日常にいながら、日常に埋没しない状態を考える必要がある。
(東京工業大学 坂本一成研究室での議論)

象徴が勝手に飛び交うような対象空間ではなく、
情報を持ったモノが充填している環境空間の状態を言語化するならば
「いきいきとした場所」という程度で表現を終えたい。






Q
かたちとともに、素材の役割についてもお聞きしたい。


A
材料のつつましい選択、当たり前の素材に価値を見出している。
特別なものを持ってきても特別になるのは当たり前であって、
宮下公園では、ほかの区公園と同じ材料で
どれだけ場がドラスティックに変わるかを考えた。

特別なかたち、素材を使う欲望(=物欲)を抑えなくなったときから
建築の表現がお手本にならなくなった。
1970年代のフォルマリズムから「一回きりの建築」を作り始めて
レファレンスにならなくなる貧しい状態が続いている。

マテリアリティについては、
・その材料がどうつくられているのか?
・どのようなエネルギーの履歴を持っているのか?
ということを最近気にし始めた。
熱で出来たか、力で出来たか。

たとえば木とガラスは相反する履歴を持っている。
(炉に入れると木は無くなる)
部品の掛け合わせではなく、「成るもの(being)」同士の関係を考えている。



Q
設計者ではなくユーザーとしての問題についてお聞きしたい。
建築は環境権力を担い続ける分野としてこれからも成立し得るのか?
人間、社会からの信頼の獲得方法はあるのか?

A
時間、履歴、文脈は非常に信頼できるものだと考えている。
過去の事象に折り合いを付けて存在しているものは、
すべて尊重すべき材料なのではないか。

建築は、「Aさん」という特定ユーザーの主観的時間に
文化人類学としての長大な人間の客観的時間を掛け合わせることが出来る行為。

わずか数十年の年齢の人間でも持つことが出来る人類の共有財産であり、
常にわがままを聞いてくれる、そばに立っている強いもの。
それが建築の持つ信頼性だと考えている。


+++

レビューに続きます。

ドリフターズ・サマースクール2011公演 試演会レポート


9月4日、ドリフターズ・サマースクール2011公演の試演会にお誘いいただき、観に行ってきました。
ドリフターズ・サマースクールの概要についてはこちらをご確認ください。






昨年の本番公演も拝見しましたが、前回は「人間と天気の関係」をテーマに
ダンス・ファッション・空間美術を融合したパフォーマンスが展開されていました。

その際配布された概要を読むと、森田正光氏によるワークショップのキックオフ・レクチャーでは
「人間の体は天気によって形作られている」という、人間存在をどこまでもパッシヴなもの
と捉えるシニカルなヒントが与えられたとのことでしたが、そのパフォーマンスは
どこまでもアクティヴに、ピュアに、存在を獲得していくような動性に溢れたものでした。

そのくらい参加者のリビドーが抑えられないプロセスだったのだな、と、
学生時代も今も相変わらず内向的な僕は、
ある種の羨望の眼差しで眺めていた記憶があります。






今回の試演会の会場にはラップのスクリーンが複数吊られており、
演者は見え隠れしながら気配は据え置かれます。
本来どのパフォーマンスでもそうなのですが、
自分の位置からは絶対に見えない演者の立ち位置がこう具体的に用意されていると、
何気なく自分の選んだ席が、世界でそこでしか観ることのできない特別な座標であることに
改めて気付かされます。

本番ではこの舞台空間にも色々と変化が加えられるのだと思います。






はじまって間もなく、僕は髪の毛がモジャモジャしているので
つい顔が痒くなり掻いていたらメガネがずり落ちてしまったのですが、
ふとその状態で目の前の風景を見てもあまり情報量が変わらないことに気づきました。
急いでメガネを直す必要がないように思い、しばらく裸眼で眺めることにしました。

極端に解像度が低くなった鈍い世界でも、
目の前で展開されるものたちの美しさと不気味さは充分わかりました。






途中一度だけセリフが挟まれるシーンが出てきたところで
低解像度に耐えられなくなりメガネを掛け直しました。
言葉が出てきたとたん、鈍い視界が急にしんどくなったのです。

そんな個人的な身体感覚をパフォーマンスにブレンドしながら、
情報の精度、解像度の高さは必要のない低解像度の世界とはなんだろうか、
ということを頭の中に宙吊りにしながら終始眺めていました。






アフタートークでは、様々なゲストの方々と一緒にコメントさせていただきました。
多かった意見は、まとまりすぎている、まとめる方向に意識が向いている、
ということへの危惧でした。

彼らがどのようなプロセスを踏んでこのパフォーマンスを作り上げているかについては
webサイトに掲載されている情報でしか知る由がありませんが、
モデレーションやマイクも関係なく意見や対話が飛び交う状況へとすぐに変わった様子を眺めて、
思惑のぶつかり合いや取っ組み合いは、きっと残りの日数で
簡単に取り戻せるのではないかと思いました。



しかし個々の話を聞いていると、どうしてそんな言葉を共有して
こんな内容が出来上がったのか、とびっくりしてしまうキーワードが
あれこれ飛び交っていました。
と同時に、観る者の立場として内容を咀嚼する方法のひとつでしかない
「パフォーマンスの発生言語に遡る」という思考展開へ
とにかく陥りやすいことにも気付かされました。
昨年の公演で、パッシヴ/アクティヴをやたら気にしていたのはそのためだったと思います。


思えば、彼らのパフォーマンスが発生するための言葉、つまりテーマやコンセプトを探り、
その筋が通っていればチケット代の対価を得た気になるのか、と問われると
確かに脳みそは一時的にすっきりはするけれども、
別に僕はある時間内に突然投げかけられるナゾナゾを解きに来たわけではありません。


だから彼らの動機となる言葉がパフォーマンスを経て、
また言葉に還元(=換言)されなくても公演は成立します。するはずです。

公演料の対価としてコンセプトに筋を通したパッケージング済みの作品を観る
という概念を超えて、「はじまりの情報」、もしくは「情報のはじまり」という
得体の知れないうねりしかない状態のものを観に行く、
あるいは、情報というインビジブルなものが、ビジブルな初期状態のままにあるものを観に行く、
という意識を以って臨むことがこの公演の楽しみ方である、と、
一年越しでようやく理解しました。

その意味において、ドリフターズ・サマースクール2011公演の持つ力は
なかなか凄まじいものがあります。
情報以前の、毒気に近いものに中(あ)てられ、
取り憑かれるような感覚を覚える人もいるかもしれません。


彼らがそこを自覚したならば、次は毎日自分たちに降りかかるあまりにも多い情報量に対して
自分の強靭なリビドーを、負けずに、ある種の冷静さを持って、
何度も何度も差し込んで重ねていくことが求められるような気がします。


そしてそれは多分
「近眼の僕が、裸眼で観たほうが情報量の多い」
そんなパフォーマンスの到達点になるかと思います。


本番まであと一週間、展開を期待しています。


+++

ドリフ・インターナショナル2011公演

KAAT神奈川芸術劇場 中スタジオ

2011/9/14 (Wed)①19:30 開演
2011/9/15 (Thu) ②19:30 開演
2011/9/16 (Fri) ③14:00 開演
※受付開始は開演1 時間前、開場は30 分

前売:1800円 当日:2000円

チケットフォームはこちら

Mesh/Earth -2


北側の高台から西面を眺める


都市のなかに突如ある、緑溢れる公園。
のなかに突如ある、ポツンと残った宅地。

という特異な敷地に対して、隈は
「透明でありながら土臭いもの」
というなんだか矛盾した字面のイメージを最初に唱えました。


それがそのまま作品名の『Mesh/Earth』という言葉に延長しているわけですが、
僕は「なぜそのイメージが生まれ、目指したのか」についてをずっと考えていました。
雑誌の解説文では「そこは語らなくていい」と隈よりダメ出しを受けましたが、
僕はあえてこのエントリで、その部分のレトリックについて語ろうと思います。




2Fリビング


ほぼ同時期に担当し、連続して竣工した
『東急キャピトルタワー(ザ・キャピトルホテル東急 )』
『梼原・木橋ミュージアム』においては、
敷地にまつわる社会的な与条件から建築的なテーマ、コンセプトを見定めて、
それがもっともダイナミズムを持ち得る形を探る作業をしていたわけですが、
この『mesh/earth』では、シンプルなドミノ・システムに
ただひたすら数寄性をまとわせることによる
異常に精度の高い島宇宙の実現が問われました。

一つ一つの意匠にロジックはありますが、そのロジックが統合される発生源(コンテクスト)が
住宅でも珍しいほどに「公共性」よりも圧倒的に私的で恣意的な
「数寄性」に偏重している極北建築と言えます。



隈事務所においては担当作によって扱う建築の振り幅が大きいのは常なことなのですが、
建築の一要素であるマテリアリティという行き先の振り幅ですら
ここまで大きいことに当初かなり困惑しました。




2Fダイニング


「数寄屋」とは形骸化した様式から脱却して
「精神性を以って好みに任せて作った家」であるから
とても局所的な決定要素が積み重なって空間が作られます。

局所的に筋の通っている意匠が集合した全体は
ある種の支離滅裂な構築物となるわけですが、
この住宅の出来上がりを目の当たりにすると、
その混沌さがむしろ建築として異様な強度を持っているように思えました。


これはなぜかというと、やっぱり建築はどれだけ物体を
理性的にレイアウト/コントロールしようとも、
情報や経験が貼り付いた多重のマテリアルの多重な掛け合わせによって
勝手に多重な意味を発してしまう「支離滅裂構築物」という側面を持っていて、
純数寄性構築物はそういった建築が元来持っている
「饒舌で、複雑で、強烈な存在感」を特に加速させているのではないかと考えます。




3Fリビング


そしてこの住宅が成立しているもう一つの理由は、
隈の言う『透明でありながら土臭いもの』というアンビバレンツなイメージだと思います。

今回の敷地のように、都市公園 = 都市のなかの自然、という
現代が生んだアンビバレンツな環境のなかに体を投げ出す(暮らす)
という難易度の高い条件に対して、
まずドミノ・システムと大開口で素っ裸にしたガラスの箱をつくり、
それを左官スクリーンで覆うことによって、
「薄皮の数寄結界/またはささやかな無防備さ」
という状態を作り出しています。


このささやかさは、ツルッとしたルーバースクリーン等ではなく、
メッシュ状の「透明な数寄」という、控えめながら強力な結界表現でしか作り得ないように思います。
先述した「遠景~近景」という「距離」による質感と柄模様の解像度のグラデーション変化が、
そのまま結界の強さという周囲との「距離感」のグラデーション変化に表れてくるからです。


『透明でありながら土臭いもの』とは、この敷地条件に対するアクロバティックな解答を、
身体的に、動物的に予感していたからこそのイメージであって、
現代の都市空間に現代の数奇屋を挿入することの意外な有効性を示した言葉ではないかと思います。




1F茶室-薄皮の結界のなかに、厚皮の結界空間が入れ子に挿入されている



この竣工写真の撮影日は3/11、東日本大震災の日でした。

つまりこの撮影のさなか、太田さんとともにとてつもない揺れをこの建築のなかで体験しました。
公園に対して開かれた巨大なガラスが「ぐよんぐよん」と音を立てて
ねじれてたわむさまを目の当たりにして、
水盤の水が噴水のようにいくつもの水柱となって立ち上がる光景を見て、
「現実に肉薄するほど、現実はファンタジーになる」という言葉を思い出していました。

しかし結果的にガラスはまったく無傷で、
一部のボード壁と天井の取り合い部にちょっとしたクラックが走っただけで済みました。
あれだけのガラスのねじれが、サッシのあそびにおさまっていたということ、
設計されて出来上がった建築のしなやかな強さに心から驚かされました。

いや、本当に、揺れのおさまったあと、何事もなかったように
平然と建つこの建物は、凛々しかった。


先輩である弥田さんの指導のもと、このビタビタの精度で作られた建築と、
あまりにも大雑把な地震の揺れという現実同士の掛け合わせによって、
物質の集まりでしかない建築がなぜか生み出してしまう白昼夢をまざまざと見た気がします。


その建物にまつわる全ての寸法を知っている設計者ですら想像しきれない、
「建築」というミステリアスな現象の美しさをもっと知りたい、と改めて思った仕事でした。


関係者の皆様、本当にありがとうございました。

Mesh/Earth -1

隈研吾建築都市設計事務所にて担当しておりました住宅作品:
『Mesh/Earth』が

『GA HOUSES 121』
『新建築住宅特集 2011年7月号』
『ディテール 2011年7月号 189号(2011年夏季号)』

に掲載されています。


こちらでは2エントリに渡って、同じくAARのオフィシャルブロガーでもあり、
『梼原・木橋ミュージアム(雲の上のギャラリー)』も撮影していただいた

太田拓実さんによる美しい竣工写真の一部をご紹介しながら、
担当者として考えたことを綴らせていただきます。




南面外観





外装クローズアップ-1





外装クローズアップ-2





中庭の水盤





室内に落ちる左官スクリーンの影



この特徴的な外装スクリーンは、溶接金網同士を芯ずれ、または回転させながら
二~三重に貼り合せることで出来る雪結晶のような和柄模様に左官を吹き付けたものです。
溶接金網の掻き揚げ天ぷらみたいなイメージと言えばいいでしょうか。

つくりやパターンの図解は各雑誌に掲載されている図面でご確認いただければと思いますが、
セル単位の模様がランダムに集合しているのではなくて、
2~3重にレイヤードすることで生まれるアメーバのような8種の模様範囲が
領域をせめぎ合いながらファサード全体に渡って流れをもって推移しているという、
迷彩柄に近いパターンになっています。



左官は、飛騨高山の有名な左官職人:挾土秀平さんによるものです。
土、セメント、樹脂、そしてスサの代わりに炭素繊維を混入し、
鉄線を丸ごとくるみ上げることで定着の強度を得ています。

溶接金網の線径を細かくスタディして、
近景では土の粗く粒立った硬い質感を感じさせながら、
遠景ではファブリックのように繊細で虚弱な存在感に変貌する
絶妙な土の取り付き量をコントロールしています。



『Mesh/Earth -2』へ続く

隣のオルタナティヴ


引越してからというもの、本棚から本が取り出しやすくなったために、
手持ちの本やマンガを色々と読み返し、ついつい読みふける時間が増えた。

そして先日ふと山本直樹氏の短編集:『BLUE』を人差し指でぐいっと取り出したら、
そのまま一緒に90年代後半もずるっと部屋に滑り出てきてしまった。

 

『BLUE』

 

これから書くことは単なるおっさんの思い出話で済むと思うなよ。
解体するのは確かに俺の青春だけど、 それはつまり「オルタナティヴ」というシーン・ワードの解体になる。
そしてそれは必然的に、ポストモダンの波がいかにして田舎のクソ坊主にまで押し寄せてくるまでに至ったか、
つまり、いかにしてポストモダンが人間社会において自然環境になったか、ということの
意外と見当たらない丁寧なルポルタージュになるんだから。なるの。なるんだってば。

 

+++

さて、僕が高校生をやっていた1995年から1998年は、カート・コバーンが自殺したすぐのこと、
オウム真理教事件が起こり、阪神大震災が起こり、 Windows95が発売され、
新世紀エヴァンゲリオンの放映が始まった時代。
カートの「馬鹿みたいな詞と馬鹿みたいなリフの組み合わせ」というグランジのメタ・カウンターが、
田舎の高校生の吸う空気にまでteen spiritのすえた匂いを感じさせるくらいベタなものになった時代。
ちょっと頭の良さそうなヤツはみんな、暗くて美しいものを探していた。

 

そのとき僕は、安達哲氏と伊藤潤二氏、そして山本直樹氏のマンガで描かれる虚構世界の住人だった。
山本氏の代表作である『BLUE』に始まり、『YOUNG & FINE』、『フレイクス』、『夏の思い出』、
『学校』、長編の『あさってDANCE』…
どのマンガも切れ切れで、シャープで、複雑で、後味が悪く、とにかく美しかった。
僕のなかでは上記3氏は「どれを買っても絶対に損しない作者」として、
見つけたら買う、というルールを自分に課し、手当たり次第に集めては読みふけった。


実を言うと初めて山本直樹氏のマンガを読んだのは小学校3年のときで、
地元のD51公園にエロ本として捨ててあった短編集:『あとは寝るだけ』なのであった。
(当時の作者名は森山塔)

もちろん小学生の僕には色んな意味で衝撃的な内容だったのだが、
中学2年のときにそれ以上の衝撃が訪れた。
それは、これまた地元の東和町公園のゴミ箱にエロ本として捨ててあった
『とらわれペンギン / PENGUIN IN BONDAGE』 というマンガとの出会いだった。

 


『とらわれペンギン / PENGUIN IN BONDAGE』



この『とらわれペンギン』は、すごかった。ただのエロマンガではなかった。

成年コミックのくせに妙に文学的なプロット、
根本的に読者をナメ切った挑発だらけのシニカルなネーム、
シャープな絵柄、章題が全てフランク・ザッパの曲名というスカしたかっこつけによって、
ページをめくるうちに自分のなかのフロイトのリビドー(性衝動)が、
いつの間にかユングのリビドー(本能のエネルギー)へと姿を変えていた。
正直こんなマンガは、それまで読んだことがなかった。

 

なぜかって、なんというか、それまで読んでいたマンガよりも圧倒的に自由だった。
「作りたい世界を作りましたよ」という強度があった。
それは性描写云々という瑣末な問題なんかではなく、
経緯の説明の放棄だったり、リンクを張りめぐらせながら飛ばなかったり、
非現実的な現象の現象自体を扱わず、現象にどう対応するかしか考えなかったり、と、
とにかく読み手として解消して欲しいものをすっぽかしながら
果たしてあるのかもわからないストーリーをなぞらせて、
そのさなかに醸し出てくる乾いた空気を吸わせればいいのだ、という開き直りがあった。

書かれているディティールが全て知るべき要素からずれていて、
慣習や社会的倫理の外で描く、のではなく、
それを知っていながら裏切る遊び(=リテラシを持つ者、つまり読者への挑発)を見せつけながら、
「どうでもいいことがわかるのに、肝心なことがわからないまま世界は進む」という
ホントっぽいことが書かれていたのだった。

 

そんなわけで、『あさってDANCE』のなかの、
かえるの被り物のディティールの意味不明なリアルさがとにかくかっこ良くてたまらなかったのであった。



『あさってDANCE』

 

とは言うものの何度か読み返していくうちに、その挑発的態度がこちらの読解態度に転写されてくる。
一回りして「これってやっぱりただのエロマンガなのかもな」と思い始める。(たぶんそれは正しい)

そんなことを繰り返すうち、だんだんと、何者にも、何事にも、
その隣にぼーっと突っ立っている「オルタナティヴ」という天邪鬼が見え始めてくるようになった。
どんなに感動的なものに出会っても、隣に目をやると、
それを一瞬で台無しにする鬼がニヤニヤしながら黙って棒立ちしているのだ。

 

この長野の山奥に生息していたサンプリング例に見られる個人的な変化こそが、
グランジというカウンター・カルチャーからメタ性だけを蒸留した
「オルタナティヴ」というポストモダン社会における重要な時代精神への転換そのものにほかならない。

シーンとしてのオルタナティヴという言葉の定義は
「型にはまらない」とか「既成概念の解体」とか言うが、
そんな頭悪くてかっこ悪くてつまんないことじゃないんだよ。
オルタナティヴは本当に文字通り「代替」のことであって、
「常に、別の選択肢が隣に立っていることを感じる」時代なんだってば。

何も信じなくていい。いやいや、そうじゃない。
それを心から信じた1秒後に、それでないものを心から信じることが出来る。
600年前に一休さんが言ってることなんだけどさ。

 

+++

高校3年頃には、『BLUE』は大変失礼ながら、僕のなかで友人の人間性の判断基準になっていた。
これが読める人とは会話が出来る、という、まぁふざけたことを考えてました。
若気の至りです。ご勘弁を。

それというのも、それまで色んなマンガを貸し借りして感想文まで交換していた女の子に、
ある日『BLUE』を貸した途端、軽蔑のまなざしを最後にコミュニケーションが途絶えてしまったことがありまして。

 

僕はそのとき、とてもがっかりしたのだった

 

自分の好奇心の枷が、他人よりもはるかに軽かったことに。
知らない世界が必ずしも美しいと思わない人もいるということに。


しかし失意のままに再び山本直樹の短編に目を落とすと、
そんな破れた期待の持って行き先、もとい、美しい処理方法も書いてあるではないか。
地方に生きる少年が持つジメジメとした感情の、急速乾燥方法があちらこちらに記されている。

その急速乾燥とは、ウェットな感情をむしろ傷つけず、腐らせず、
大事に大事に保存し続けるための方法なのだった。


誰よりもロマンチストでいるためには、誰よりもドライに、誰よりもシニカルになるしかない。

 


『なんだってんだ7days』 *『BLUE』収録

 

乾燥の方法は簡単だった。
僕自身が、隣に立つ天邪鬼になればいいだけのことだった。
どんなときでもメタな自分が見ている。
ときに衝動的になる自分すら、見られているということを知っていながら衝動的になるようになる。

三人称で生きていく人生のはじまり。
すべての動詞に「あえて」が付く人生のはじまり。

分裂して、増殖して、この日記の偽装一人称も「僕」と「俺」を使い分けて、
感情というその場限りの大事な電気信号をなるべく正確に保存する。

 

+++

と、このように一個人の「オルタナティヴ」の発見は大変に失うものが大きいが、
なんとびっくり、死ななくなるという利点があるのだった。

明日には今日の何かの価値が転倒しているだろう。
だからなんだ、俺はいくらでも他の価値を知っている。
ひとつこけたからってどうってことはない。
それどころか、こけたことでまた逆説のリンクが増えてくれる。
オルタナティヴを知れば、生きるほどに、変化があるほどに、精神の強度が増し続ける。
そのせわしない振幅が、ついでに生きることの動性と美しさまで表現してくれる。

僕自身がこけても死んでも、リンクを張り巡らした素材としての僕の言葉や内臓が、
何かの、誰かのオルタナティヴとして、ゴーストとして、存在し続ける可能性を持っている時代。



『BLUE』

 

オンリー・ワンだなんて笑わせんな。
「代わりがいる」から、生きていけるんだ。
これ以上の人間賛美が歴史上にあったか?

 

以上、単なるおっさんの思い出話でした。

シュレーディンガーの猫、の箱


このたびは東北地方太平洋沖地震で被災されました皆さまに心よりお見舞い申し上げます。


今回のエントリは震災を挟んで書き上げた文章で、当然ながら内容の展開に少なからぬ影響がありました。
強烈に与えられた、日々刻々と変わってしまう日常というものに対する緊張感を忘れずに、
今後も些細な私事から湧き上がる考え事を綴っていこうと思っています。



+++


2月初旬、11年間住み続けたアパートをようやく飛び出して、
東京タワーのよく見える古めかしいマンションの最上階へ引っ越した。
事務所とも住まいとも何とも言えない、中途半端な広さのワンルーム。
ニッチを突いたのか、驚きの賃料に食い付くことが出来た。

最上階で角部屋の二面採光なのでとにかく明るい。
窓の外には東京タワー。
足元はオール墓場。
たぶんそのうちお化けが出ると思う。






仕事の傍ら、夜な夜な旧部屋の掃除と梱包作業に追われていると、
それまで当然のように住んでいた町への感傷がじわじわとやってくる。
ゴミ袋に投げ込まれるのを逃れてダンボールに詰められる雑貨たちも、
ここを離れたらもう同じものではないような気がしてきた。
結局すべて置き去りにするような気がした。
10年住めば、どの土地も置行堀(おいてけぼり)となるのだった。


この梱包作業を通して、風景やシークエンスという掴みどころのないものよりも、
置いてある物一つ一つに宿る情報の総体こそが土地なのだ、と気付いたとき、
思わず「これが土地か、」と声が漏れた。
土地は不動産なのでやっぱり運べないみたい。
物から土地を切り離して、根本的な情報の抜けた動産を運ぶしかないのだった。

そして僕という動産からも、これまで住んでいた土地のゲニウス・ロキが切り離される。
僕の時間断面のゴーストがここで離脱し、地縛霊となる。
こんなあまりに文学的で嘘っぽい感覚が、なんだか妙に確かに掴めたのだった。




置行堀



山積のダンボールを引越屋の兄ちゃん2人が手際良く運んでいく。
PCモニターには不思議な布団のような袋を被せて運び、
衣服はプラスチックダンボールで出来たモバイルクローゼットとも言うべきものに
みっちり詰めてトラックに載せていく。

彼らの様子をしげしげと眺めながら、
運ぶってなんだろうか、ということが妙に気になり始めた。
原始的な行動の「運ぶ」から、いわゆる「物流」まで、
人間の歴史のなかにおける運搬ということについて調べたくなり、
引越先近くの港区の図書館に行って、運ぶことに関する本をあれこれ読んでみた。

ちなみに新居の近所に「物流博物館」なるものがあり、
このエントリを書く上で是非行ってみようと思っていたのだが…
震災の影響で当面の間休館になってしまった。
こういうときこそ知りたい情報だったのに。



+++


輸送・運搬に関する本の背表紙をひととおり眺めると、
運ぶということを語るには、当たり前ながら
ミクロのフィジカル論と、マクロのロジスティクス論に分けられる。


フィジカル論を紐解けば、まぁとにかく人体という構造物は
二足歩行がゆえに「運ぶ」という機能が高度に備わっていて、
道具を使うことで更にその機能を飛躍的に高められる大変面白い生物のようだ。

合理性が求められると同時にしぐさ、身の振りに直接的に関わることなので、
「運び方」とそれにまつわる道具は極めて文化に派生しやすい。




1.頭に乗せる / 2.背に負う / 3.肩に担ぐ / 4.腰に下げる / 5.手で持つ
出展:須藤功=編 『写真で見る日本生活図引 2 とる・はこぶ』 弘文堂 2005


このしぐさ5種と、体と接続する結び部分と収納部分のドッキングした道具を使い分け、
時に同時に用いながらあれやこれやを運ぶ運ぶ。
45kg~150kgまでならばこれでいける。


この輸送量を超えるとなると、牛馬、船、車に話が移り、
これら運び手をどう効率的に扱うかで話はロジスティクス(交通・物流)の領域に入る。
こうなるとインフラ配備も絡んできて話が膨大になるため、
にわかの勉強では太刀打ち出来ないのだが…


日本運輸史をざっと斜め読むと、とかく運搬方法は
「既存の運送業とのいざござ → 棲み分け → 淘汰」の轍を踏む。
中馬と宿場、高瀬舟と車借・馬借の軋轢などなどがあるが、
日本における運輸の最たる転換は、郵便の公営化だ。

それまで純肉体労働である運送業は、
助郷、雲助、飛脚、川越といった、言葉は悪いがある種の賤業だったので、
前島密がヨーロッパに習いお上の公営としたのは相当衝撃的だったようだ。
飛脚業者の切れ者:佐々木荘助が慌てて
郵便事業は政府、運送を民間業者という案を認可させたことで
「日本通運」の前身が生まれ、現在の棲み分けバランスが構築された。


印象として、とにかくロジスティクスはその社会の躍動の現れというか、
社会全体の生命性に直結している。
いざござや軋轢、淘汰も含めて、
こんなにも(抽象的な意味で)動性に溢れた体系があるのか、と驚かされた。

良い風が吹き始めると一斉に白帆を上げて動き出す
高瀬舟の風景はそれはそれは圧巻だったようだが、
そのダイナミズムは上記のフィジカルな5種の運び方の写真で見られるように、
物を運ぶ人間一人ひとりにも感じることが出来る。


彼ら僕らはヘモグロビンとなり、張り巡らされたロジスティクスという血脈に乗って、
社会という器官を瑞々しく機能させている。



+++





引越は先の不動産へのスタティックな感傷と同時に、
息もつかさず上記のような動産のダイナミズムも襲ってくる。
新居に積まれたダンボールを開けて出てくる様々な形の物たちは、
やはり以前と同じ物でないものの、以前よりも豊かなラインを持っているようで
本ひとつ取ってみてもなんだかめくらずにはいられない。なかなか棚に収まってくれない。


「運ぶ」という行為は、物から土地という情報を奪うことだ。


しかし物から土地という情報は奪えても、形を奪わなければ当然物は持続する。
フォーマットされて意味を失い、形骸化しても、
形式、そして図式はそれだけで物の内在時間を継続させる。
この単純な事実こそが、建築の持つ愛と力だ。

建築設計は、物と情報を統合することで意味を設計し、存在をつくる作業だ。
でも、意味は絶対いつか物から抜け落ちる。
でも、同時に生まれる「形」という究極のリアリティが、
どこまでもその存在を現実的に担保する。


伊勢神宮も諏訪大社も、その起源がもはや辿れなくとも、
建築が、儀式が、つまり形式が神の存在を担保し続ける。


だからシュレーディンガーの猫で最も注目すべき大事な要素は、
猫でもラジウムでも青酸ガスでもなくて、その箱なんだよ。
箱はどこまでも願いに応答していつまでも存在を担保し、
「素晴らしいから在る」を、「在るから素晴らしい」に孵してくれる。





身体という形式を思えばこんな簡単なこといつだってわかるのに。
身体の意味なんて神様だってもはや辿れないけど、確実に、「在るから素晴らしい」。



+++


3月11日、地震と津波の暴力は、建築やインフラどころか、地形すら奪ったことに呆然としています。

それでも残る人間たちの身体と、生活という変わらない形式を以って、
彼らの時間、我々の時間を継続させていくことを願っています。


一休さん


門松は 冥土の旅の一里塚 めでたくもあり めでたくもなし


あけましておめでとうございます。

おっせーけど、一休さんこと一休宗純の詩を以って新年のご挨拶。
しかしまぁ言いたいことはわかりますが。
ちょっとひねくれ過ぎじゃないですか、一休さん。




紙本淡彩一休和尚像 (伝:墨斎筆)


一休宗純という化け物を知っているか。
いわゆる「とんちの一休さん」のイメージの延長線上にある、
彼のナイーブで巨大なねじれを知っているだろうか。


とんちとは天邪鬼の目である。
その目を持つ彼の遺した、どこまでも人を喰った悪魔の言葉を知ったとき、
油断するとすぐに単純化しようとする世界は再びねじれて複雑になり、
悲しくも美しい不全な視界をいつでも取り返してくれる。

僕は600年前からあらゆる人間にその悪魔の目を分け与えてくれる
一休宗純を愛してやまない。




一休号(伝:華叟宗曇筆 酬恩庵蔵)


一休は面白い。

まず名前が面白い。
一休みって。ねえ。

数多ある禅僧のなかでも特別に異端なこの名前。
由来は彼が25歳のとき、師匠である華叟和尚から出された
「洞山三頓の棒」という公案への回答からによる。


有漏地より 無漏地へ帰る 一休み 雨ふらば降れ 風ふかば吹け


有漏地(うろじ)とは煩悩のある境界。
無漏地(むろじ)とは煩悩のない境界。
人生とはそこへと至る些細な一休みなのだと宗純は答えた。
そして華叟和尚から「一休」の道号を与えられる。

千菊丸、周建、宗純、一休、狂雲、瞎驢、夢閨…
88年の人生のなかでさまざまな名を持った彼だが、
自身も巷も、「一休」という名の、圧倒的に画数の少ない面構えと音の響きの面白さを
特別気に入っていたであろうことは想像に難くない。


その間もなく彼は華叟の元で大悟する。
とんでもない若さで印可証を与えられる。が、一休は断る。
(印可証=師が道に熟達した弟子に与える許可、つまり後継証明書)


一休の大悟に際した言葉は


鳴かぬ鴉はなんとでも鳴く


である。
鳴かぬカラスとは、人間のことだ。


禅における悟りとは、トートロジーの乗り越えである。
煩悩を消し去りたいという煩悩をどう扱うか。
執着を消し去りたいという執着をどう扱うか。

このことをロジカルに突き詰めるならば、
「~したい」という根源的な欲求状態を消すしかない。
何も食わず、何も言わず、何も感じなくならねばならない。

しかし一休はこのロジックに対してもずるかった。
結果出した彼の答えはこれである。


穢土のただ中に浄土のありか
凡夫に仏性
悟ってまた煩悩 煩悩してまた悟る



陰陽、清濁の往来を永遠のはたらきとし、ベクトルの総和でゼロをつくる。
問題に対して止揚もするし対峙もする。
ヘーゲルとキェルケゴールを共存させてしまうような、何ともアクロバティックでふざけた解決法だ。
しかしその振幅の激しい振動が、生きていることの動性と、喜びと、美しさをこれ以上なく表現する。


鳴かぬ鴉は何でも言いたい。何でも感じたい。
そのわめき声はカラスの耳障りな鳴き声に等しい。
しかしカラスが鳴かない方がそもそもナンセンスではないか。
いやいや、しじまに響くカラスの一声のなんと美しいことか。




一休遺偈(臨終間際の禅僧が後世のために遺す言葉)(伝:一休筆)

須彌南畔
誰會我禅
虚堂来也
不直半銭


「この世の中で誰が一休の禅を理解できるだろうか」



一休は真似できない。

出自からして真似できない。
一休は後小松天皇の後落胤である。
ひらたく言えば、天皇の落とし子である。
この嘘みたいな話はかなり確かな事実らしく、
生きている時分から民衆に広く知られていたようだ。

想像もつかないような高貴な人間が、隣人としてその辺をフラフラしている。
しかも一言交わせばそれだけでわかるくらい異常に賢い。
人気者になるのもよくわかる。


稀な境遇を臆面もなく利用しながら、
その立場でしか言えないことを、彼は常に一級品の言葉で言い続ける。
御落胤として生まれたために余儀無く出家させられた(殺された)彼は、
それでも命があることに感謝しながらも、
権力に対して真正面からツバを吐くことをやめられない。
嫉妬心や人間臭さを隠すこともしない。
ねたみそねみから出る鳴き声を抑えない。
みっともない皮肉屋であることを恥じることもない。


こんな開き直りのゼロ哲学はあっけらかんとした能天気な思考に思えるが、基本的に一休は暗い。
希望よりも絶望を謳うネガティヴな言葉が多い。


親死に 子死に 孫死に


なんとも不吉な言葉だが、弁証法的に考えればちゃんと延々代々と命が続いていくこともわかる。
先ほどのヘーゲルとキェルケゴールの共存のように、
両局のダブルミーニングが仕込まれた言葉。それこそが悪魔の言葉だ。
そして「総和ゼロ」を標榜する彼の言葉が偽悪でネガティヴ寄りだということは、
根本的に人間という生き物は、「明るくて都合がよくてポジティヴな生き物」だ、ということがわかる。




狂雲集(一休著)


一休は何を為したか?

強いて言うならば漢詩人であるが、
彼本人は何を為したとも言えない。

ただ、彼のもとに集まった人間たちによって一休文化圏を作った。
有名どころでは、金春禅竹(能楽)、村田珠光(茶道始祖)、墨渓(水墨画)、飯尾宗祇(連歌師)などなど。
77歳から88歳で死ぬまで11年間寄り添った恋人、森女こと森待者もその一人。


僕自身は、原子力発電者という勝手なイメージを持っている。
無形だが、エネルギーそのものという存在。水でもいいかもしれないね。
弟子たちとの「そもさん」「せっぱ」な即興対話を繰り返し、
頓の知、つまり圧倒的スピードを必要とするメタ問答によって
ひとりひとりの想像力を核融合し誘爆させ、人間を三千大千世界の宇宙スケールへと到達させる。


西のソクラテスと東の一休。
ニヒリズムを前提とした緊張感ある対話によって、
自身は何も為さずとも、後続が文化の鉱脈を掘り出し、生産は無限の広がりを見せる。

しかしまた一休に立ち戻れば、それもまたひとやすみのなかの暇つぶしに過ぎないとすっぽかされる。
ただ春の夜の夢の如し。




一休骸骨(伝:一休筆)


総じて、一休とは何者なのか?
この問いに一休は逃げまくる。空かしまくる。


わが宿は 柱もたてず ふきもせず 雨にぬれず 風にもあたらず


つかみどころのない言葉を重ねて、
一休はおろか、問う自分が自身をつかめていないことを示唆する。
ここに紹介している言葉は、本当に一休の言葉か怪しいものも多々ある。
でも、もはやそんな定義すらどうでもいいのだ。
一休自体が誰なのかわかんないのに。


テンションが上げれば下げ、テンションが下がれば上げ、
アンビバレンツな世界をアンビバレンツな自分のままに見る。
常に逆説のオルタナティヴの存在を示唆する。

そんな確かなものの何もない、虚無のさなかに輝くものこそが、アイロニーだ。


花は桜木 人は武士 柱は桧 魚は鯛 小袖はもみじ 花はみよしの


なんじゃそりゃ。
花は桜木って言ってたのに、みよしのなんすか?

僕はこのくだらなさをふっと笑う心こそが、
この虚無を嘲笑するアイロニーこそが、
スカスカの世界に輝く唯一の強さだと信じている。
くだらない皮肉の嘲笑こそが、自分を、他人を、世界を、最後の一線で救う。
一休はそれをよく知っていたことがわかるから、僕は一休を愛してやまない。
天邪鬼は下等で卑しい鬼であるとともに、人間の持つ愛と力の権化なのである。


朦々として三十年 淡々として三十年
朦々淡々として六十年
末期の糞をさらして梵天に捧ぐ
借用申す昨月昨日 返済申す今月今日
借りおきし五つのものを四つ返し
本来 空にいまぞもとづ



すべてただ春の夜の夢の如し。
皮肉を以って複雑な世界を笑って死ぬべし。


とても寂しいけれど、
悪くない気分だ。



+++


最後に一休の臨終の言葉で締めたいと思う。
あの厳しい時代に88年も生きた妖怪の最後の言葉は、
悪魔の言葉ではなく人間の言葉だった。


死にとうない


50gの勇気

月並みな言葉ながら、やっぱり楽器は裏切りません。
しつこさには必ず応答してくれる。
それどころか「もっとしつこくなれ」と
永遠にこちらへ呼び掛け、永遠に鼓舞してくる。

そしてその生命維持的に、社会的に、どこまでもナンセンスな反復運動が、
いつの間にか人生を継続させるための強固なセンスに転換するという
とてつもないダイナミズムを教えてくれる。






14歳、親が突然フリーマーケットで300円のガットギターを買ってきたあの日から
突然僕のなかで沸騰したギター熱がいまだ止まない。
僕の人生の一部が300円で買われたようなもんだ。
親もまさかこの300円で息子が困ったことになるとは思ってもいなかっただろう。
のちのちのことを考えると大変高い買い物だった。


高校に入ってエレクトリック・ギターを手にしてからというもの、
その熱中具合は留まるところを知らず、
一日何時間も弾き続け、機材に散財するようになる。
勉強はますますおろそかになるけど、
まぁ最初にガットギターを買ってきたのは親なんだから親のせいだよね。親が悪い。

そして気が付けば、ギターを触っている年月が、
ギターと出会っていなかった時間を上回っている。


この事実は僕以外の人にとってとことんどーでもいいことであることは百も承知だが、
なんだか今日は、何となく「それだけ生きてこれたのだなー」と
あえて壮大に誤読してみてもいい気分である。

楽器に対する止まない個人的なフェティシズムを、
人間賛美の表れという普遍論へと読み替えてあげたい。
しつこいことで僕が色んなことを実現するきっかけを作ってくれた
楽器というものに対する恩返しの意味合いを込めて。






楽器は根本的に美しい。

振動を作り出す部位と、その振動を増幅させる部位が、
身体の運動条件に制御されながらトライ&エラーを繰り返して統合された結果物である。
確固たる形の理由を持ちながら、パフォーマンスツールとして絵心と激しくせめぎ合う。
空気と、身体と、絵心の緊張関係をそのままに体現したラインは美しい。エロい。

個人的には楽器の匂いも好きだ。
…とその辺のギターに対する偏執的な愛についてのしつこい記述の続きは、こちらをご笑読のほど。



美しい形に惑わされて触れば、更に魅惑の音が鳴るわけだが、
その楽器に即した動きを突き詰めていけば、どこまでも複雑さを増していくことができる。
時にふと現れる常軌を逸したモノマニアたちによって、
信じられない程に繊細な、楽器自体が想定していないレベルの操作も発明されていく。

そんな探求に対する底なしの応答は、究極の愛を感じさせる。
もちろんその愛は錯覚で、楽器の応答はひたすらに自身の運動の裏返しでしかない。
底なしなのは間違いなく自己探求の方だ。
しかしそのフェイズを、まるで生物とのコミュニケーションのように錯覚させてくれることで、
「自身の運動精度を突き詰める」という極めて個人的な自己愛、自己陶酔の臭みを
しっかりと脱臭してくれながら、「音楽」として人を純粋に感動させることが出来る。






冒頭に書いたように、楽器の演奏なんてものは本来、
生命維持的にも社会的にも全く意味のない反復運動でしかない。

しかし何千回、何万回と繰り返しても弾けないフレーズが、
朝起きたらなぜか突然弾けているとき(これは同意多数だと思う)、
この脱力するような「なんだ、出来るじゃん。」という些細な可能感が、
世界への万能感へと延長していることが間違いなくわかるのだ。

生まれたときの万能状態からスタートする、
「2m先のコップに手が届かない」
「両親が僕の話を聞いてくれない」
というつらいつらい不可能性と否定の積み重ねによってつくられる
「自分の限界=自分の輪郭」の線引きが大体完了する時期、
いわゆる「物心付いた頃」に楽器を触ることで、
これから生きていくということが、身体の限界、自分の輪郭を
少しづつ、恐る恐る、また世界へ拡張していく作業であることを知るのである。

これを知ったら、生きる程に可能性が取り戻せるのだから、もはや生き続けるしかない。
こここそがナンセンスからセンスへの変曲点にほかならない。



日本ロック界の大御所ギタリスト:シーナ&ザ・ロケッツの鮎川誠氏が
「ロックとは何でしょうか?」という質問を受けたとき、
「反復と継続」と答えていた。

このインタビュアーの暑苦しい意図をサラリとすかすような、
ひねりの全くない言葉にはとても感動した。
なるほど、「既成概念の破壊」とか「反社会」なんて別にロックの形而上に立っていない。
ロックはおっしゃるとおりビートを反復して継続するだけでしかないが、
そのリズムのまま、ただ「繰り返し続けること」の先にこそ世界を変える力があるのだ。
ロックがカウンターカルチャーと親和性が高いのは、
世界を変えることのなかのひとつの結果でしかない。




バッハ直筆の譜面


反復と継続で思い起こす巨匠は、バッハとジャコメッティだ。

バッハはライプツィヒ時代の数年間、
日曜日の礼拝にあわせてカンタータを毎週!作曲し、上演したのだ。
その繰り返しのさなかであの珠玉の名作群を、延々と、おそらくは淡々と、紡いでいった。
バッハ直筆の譜面を見る限り、彼の偏執狂な面影は充分過ぎるほどに伝わってくる。


この逸話のように、同じ運動を繰り返す作業のなかでのマイナーバリエーションを求められたとき、
本人の実験的な想像力は、通常の何倍速にもなって試みられていくと考えている。
イメージとしては、相対性理論のたとえ話で出てくる
「新幹線のなかで新幹線に乗る」ことを繰り返す現象だ。
クリアしてきた操作一つ一つが慣性としての速度になり、次なる速度が加算される。

その指数関数的に加速するモノマニアック・ディベロップメントのみが、
文化的なジャンプを呼び起こすのではないか。
エチュード(習作)から、洗練された高精度の上澄みを取り出すということではなく、
エチュードの執拗な繰り返しが、そのまま病的な精度を持って作品へと昇華していくだけのことだ。



そしてその音楽を再現するために、
バッハという特異な人間の特異な運動を人々は繰り返す。

世界中で、数mm単位で同じ動きをする人間たち。
生きていくうえではまったく意味不明な微細過ぎる運動をトレースして、
そのときバッハが何を考えて、何を考えなかったのかを知る。

今地球上のどこかで必ずバッハの音は止むことなく鳴っているだろう。
今後も鳴り止むことはないだろう。
時間と空間を超えて、どこかで誰かが必ず、バッハがかつてしていた身体の動きをトレースしている。
この事実を思い浮かべたとき、人間って本当にとんでもない生き物だな、とくらくらする。
そしてその永遠に続く巨大な反復運動のうねりに参加したい。
自意識を掻き消して、歴史のなかで消えていった人間たちを呼び起こし、
彼らとつながるシャーマンになりたい。



+++

以前MoMAを訪れて、美術の教科書で散々見た
ゴッホの『星月夜』を始めとする数々の名画の前に立ったとき、
純粋に作品に感動しているのか、それともアーカイブ(作品性)に感動しているのか
全くわからなくなってしまって脂汗が出たことがあったが、
ふと兄の、「その絵を描いていた人間と同じ立ち位置に立つ」という言葉を思い出して安心したことがある。

ゴッホのゴーストと身体を重ねたとき、
彼も自分と同じ肉体を持つ人間なのだ、という不思議な勇気を感じた。
真心ブラザーズが言うように、僕もあなたも大して変わりはしない。
どんな人でも僕と大差はないのである。
そしてようやく、星月夜、そしてゴッホのディティールが見えてくる。




アルベルト・ジャコメッティ


「見えるものを見えるままに表現しようとした」

このことだけを突き詰めて、数十年間習作を繰り返したアルベルト・ジャコメッティは、
エチュードを永遠に反復するためのモチベーションを「50gの勇気」と例えた。


もう少しの勇気、50グラムの勇気、あと一滴の勇気さえあれば!


楽器が教えてくれた、自己探求の果てにある自意識ゼロの世界で、自身の輪郭を溶かすことの意義は、
自分の身体を先人の身体に重ねるためであり、後人の身体を自分の身体に重ねさせるためだ。
50gの勇気さえ持ち続ければ、死人、他人、未来の人間と出会うことが出来てしまう。

この文学的な思い込みが、ナンセンスな反復運動を生きるためのセンスに変えるどころか、
歴史という巨大なナンセンスまでをもセンスの凝縮物に変えてくれる。


今日も14歳のときに覚えたフレーズを弾きながら、
そんな誇大妄想を抱いては一人ほくそ笑んでいる。


梼原町の隈事務所建築


高知県梼原町には現在4つ、隈事務所の設計した物件があります。




『梼原・木橋ミュージアム』 施設名:「雲の上のギャラリー」(2010)


「雲の上のホテル」と「雲の上の温泉」をつなぐ連絡通路兼美術館。
小断面の集成材を刎ね出しながら組み上げた「やじろべえ型刎橋」とも言うべき架構形式の木橋。
崖上の橋端部にはこの架構を逆さにした小屋組形式のアトリエギャラリーが併設されており、
アーティスト・イン・レジデンスに対応した宿泊空間も内包されている。


新建築.netに動画が掲載されています。
周辺の大自然のなかに建つ様子と全体像がよくわかるので是非ご覧になってください。


【梼原・木橋ミュージアム動画】
http://bit.ly/sk1011_movie4



開館時間:
10:00~16:00(ホテル宿泊客は~22:00)
問合せ先:
http://yusuhara-s.com/gallery_info.htm
0889-65-0489(梼原町商工振興協同組合)





『梼原町地域交流施設』 施設名:「雲の上のホテル」(1994)


上記の『梼原・木橋ミュージアム』はこの施設の増築棟になります。
隈事務所が設計した梼原における最初の物件。
梼原町産の杉と地元職人による和紙を用いて、
隈の素材をテーマにした一連の批判的地域主義作品のスタートとなった記念碑的作品。
高知県西部のリゾートホテルとして有名。

問合せ先:
http://kumono-ue.jp/top.php
0889-65-1100





『梼原町総合庁舎』(2007)

広場に向かってダイナミックに全開する大扉によって、文字通りまちに開かれた役場施設。
CASBEEでSクラスを達成したハイスペックなサスティナブル建築という側面も持つ。
おおらかなアトリウムは街路の延長のように自然と町内外の人が集う空間になっています。





『まちの駅「ゆすはら」』(2010)

『梼原・木橋ミュージアム』とほぼ同時に竣工した物件。
梼原町の伝統的な文化交流施設である「茶堂」を継承する建物として
市場とホテルをドッキングさせた複合施設。
茅のユニット建具によるファサードと、渋皮丸太の林立する吹き抜けが特徴。
豪快な素材と繊細なディティールが共存する空間。
担当のナベちゃんこと渡辺傑による力作です。


こちらも新建築.netに動画が掲載されています。
是非ご覧ください。


【まちの駅「ゆすはら」動画】
http://bit.ly/sk1011_movie3



開館時間:
8:30~18:00(冬季17:00)
問合せ先:
http://y-marche.jp/top.php
0889-65-1117





梼原町広域地図



上記施設以外にも、太郎川公園には『雲の上の温泉』、『雲の上のプール』、
梼原町役場の近くには芝居小屋の『ゆすはら座』等の素晴らしい建築があり、
坂本龍馬ファンにお薦めの展示施設もあります。


以前のエントリ:『摂氏330度』で紹介させていただいた
四国カルストの天狗高原も車で30分ほどのところにあります。

ランチは古民家を移築した農家レストラン:「くさぶき」
夕食は商工会会長の焼肉屋:美味美味亭(おいおいてい)で決まりだね。


標高が高いためこれからの季節は寒さや雪が厳しいですが、
とにかく盛りだくさん、且つ素晴らしい環境の場所なので、是非機会をつくって訪問してください。



INDEX:
太田さんを撮る - 1日目
太田さんを撮る - 2日目
梼原町の隈事務所建築


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