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- 02月 08日 07:10 / FDmountwill_millsの日記
- [社会] #LRAJ2010 Ust配信 PCの前でぶっ続けで見た
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文字の羅列
唐突だが、西夏文字は残っている。
チンギス・ハーンによる異常で執拗な抹消行為の隙間を縫い、
長らく「解読」は出来なくなったものの、「形状」は奇跡的に現代へ残った。
今日はこのことについて思うことを、ただ思うことを、
文字という至高の芸術に敬意を表して、ただ長々と書いてみたい。
出張中の飛行機のなかで、いつも楽しみにしているANAグループ機関誌:『翼の王国』を読んでいると、
「流砂に消えた王国」という西夏の遺跡を巡る旅行記事があった。
ちょうどビックコミックスピリッツに連載している伊藤悠:『シュトヘル』という
西夏文字をテーマにしたマンガの魅力にやられまくっていたため、
興奮して隅から隅まで読ませてもらった。

西夏文字と李元昊
西夏は1038年~1227年に中国西北部に存在した、タングート(チベット系民族)の国である。
李元昊(り・こうげん)という天才政治家によって建国され、強固な哲学を以って、
またイスラム、仏教、ヒンドゥー、チベットといった多様な宗教文化領域の狭間であることも手伝い、
独自の文化を形成した。
その文化の最たる結晶が、西夏文字である。
先の李元昊が建国とほぼ同時に創作を進め、約6000字に及ぶ民族文字を作り上げた。
漢字の構成を拝借しながら、西夏の古代語の要素と独自の工夫や発想を織り交ぜたため
象形要素が抜け落ちており、もともとの漢語の知識ではまったく読むことが出来ない。
長らく未解読の時代が続いたが、1960年代頃に大体の解読がなされた。
西夏文字で中国人を表す「漢人」は、「小偏に虫」と表記する。
つまり、そこには確固たる哲学がある。
文字は哲学によって生まれ、経験で育てられることで、
その社会を象徴しながら事象と記憶を留める。
李元昊は全てが消えていく大草原において、「留めること」を考えた。
反草原。
それは本当に、本当に革命的な行為だった。

モンゴル文字の国璽とチンギス・ハーン
一方、モンゴル帝国は文字を持たなかった。
(モンゴル文字は、西夏文字が生まれてから150年後、
国璽(印鑑)の必要性を迫られて生まれたという極めてビジネスライクな起源を持つ。)
チンギス・ハーンは、何も留まらず、何も残らない「順草原」の哲学を持っていた。
そうでしか彼の異常な行為は説明できない。
彼はおそらく人類史上最大の殺人鬼である。
「歴史からなかったことにする」という行為を繰り返した恐ろしい人間だ。怪物の類である。
制圧した都市は人間のみならず、犬、猫、そこにいる「生物」全てを完全に殺し切ったという。
建造物、工作物、そして文字もまた、殺され、焼き尽くされた。
領土征服というよりも、人間の構築した都市をただひたすらに草原に還していった、
という表現の方がどう見ても正しい。
なぜか宗教には寛容だったというが、それは「何もない」草原において、
偶像があってもなくても同じ、という理由ではないだろうか。
復讐の相手には煮えたぎる金属を体中の穴に流し込むという想像を絶する拷問を行い、
死者数を数えながら周囲国家の戦意を殺ぐために淡々と男、女、子供別の生首のピラミッドを築き、
時には職人だけ生け捕りにして技術を奪い、
次の戦いが城攻めならば捕虜と敵国の武具を確保し、最前線に立てて容赦なく同士討ちをさせた。
降伏しようが和議しようが、用が済めば平然と約束を破り皆殺しにした。
全てが異常なまでにシステマティックに遂行され、黙々と都市を消した。
なぜそこまで「消した」のか、はわかっていない。
先にも書いたように、草原の哲学を貫いたとしか言えない。
ヨーロッパにおいて「タタールの軛(くびき)」のトラウマは今にも続く。
「消した」ことで、逆に世界中にトラウマを留めた男。
西夏も例に漏れず、あらゆるものが消された。
一説によると、西夏文字には何かチンギス・ハーン自身のトラウマが記されていたために
執拗に焼き尽くされたのではないか、というドラマティックな話もあるが、
恐らくチンギス・ハーンは「留める」という哲学そのものを焼き払いたかったのではないか。
自身の陰惨な生い立ちから築き上げた「全ては消える」という彼の哲学が、
消えたことで彼の精神をなんとか保っていたかつての家族と友人の怨念が、
西夏の「留める」という哲学を何としても否定しなければならなかったのではないか。
ヒンドゥーになぞらえれば、李元昊はヴィシュヌ(保持)、ハーンはシヴァ(破壊)。
西夏を巡る攻防は、草原を軸にした人間の最もラディカルな哲学のぶつかり合いだった。
(*両者は世代差があるので直接対峙はしていない)
結果西夏という国家は徹底的に滅ぼされたが、
西夏文字という文化の真髄は残ったことで、ある種の勝利を収めた。

この歴史をもとにした伊藤悠:『シュトヘル』の設定が抜群に切れている。
モンゴル帝国のなかで圧倒的武力を示して頭角を現すツォグ族の幼い皇子:ユルール。
チンギス・ハーンの落とし子でもあるユルールは
ツォグ族の存続を担う政治材料として丁重に生かされている。
そのことに負い目を感じて生きる虚弱な10歳の少年は、
自身の一族に消されていく人々の無念をも同時に背負い、
記憶を留めるために生まれた西夏文字に至高の美しさを感じている。
結果、純モンゴル人どころか、大ハーンの血を引く人間でありながら、
ユルールは西夏文字を永遠に残すために、
ただ持っているだけで万死に値する西夏文字の字典:「玉音同(ぎょくおんどう)」を抱え、
文字以外の一切を捨てて一族を裏切り、はるか遠くの宋国へと逃亡の旅に出る。
その途中、モンゴル族に故郷を壊滅させられ狂人と化した西夏人の女戦士:シュトヘルと出会う。
+++

『翼の王国』に掲載されていた、1. 居庸関(きょようかん)刻文の楷書の西夏文字、
『シュトヘル』のなかの 2. 玉音同に刻まれた西夏文字 は本当に美しい。
美しいから残った、としか言いようがないほどに説得力のある美しさだ。
画像の下段に並べたのは、まだ解読されていない古代文字の羅列である。
(3.ロンゴロンゴ文字 / 4. 彝文字 / 5.インダス文字 / 6. ヴィンチャ文字 / 7. キュプロ・ミノア文字)
伝える内容とは別次元で、文字という形状そのものがここまで美しいのはなぜなのか。
意味を持つ単位の、整然とした羅列は、なぜこうまで悪魔的な魅力を持つのか。
建築においても、設計される建造物とは別次元で、図面、ドローイングの強さというものがある。
以前生で見たコープ・ヒンメルブラウの『ヴィラ・ローザ』、
ハンス・ホラインの『表現手段としてのコミュニケーション交流都市プロジェクト』、
ギュンター・ドメニヒの『フローラスキン』といったオーストリア勢のドローイングは
あまりにも緻密な線であまりにも大胆な構想を留めていて、凄まじい衝撃を覚えた。
あの感動は模型どころか、建築以上だった。
建築界の情動は実のところ建築が担わず、ドローイングによって牽引されている、とはよく言われることだが…

1. Coop Himmelb(l)au : 『Villa Rosa』(1968)
2. Hans Hollen : 『Project City-Communication Interchange as a Means of Expression』(1962)
3.4. Eilfried Huth & Gunther Domenig : 『FLORASKIN』(1971)
リアライズの手前にある、リアライズ以上の精度をもってイメージを留める行為自体の強さ、美しさを感じたい。
整然と並ぶ文字、図面に見るただならぬ魅力は、物事を留めて伝えるものでありながら、
時間と無関係に内容以上の想像力を誘爆する燃料のようなものを内包しているからだ。
それは西夏文字が、1000年を経た現代においてまでも
『シュトヘル』の想像力を生んだことを考えれば、確かなことだ。
隈研吾の論考:『ポスターからオトナリへ』(新建築2008年7月号)では、このスケールの時間を超えられない。
ポスターで宣伝し、グッズとしての建築を売ることから、
近接するお隣に声をかけるという部分ごとのコミュニケーションが
都市の全体をつくるリアリスティックな手段だと彼は謳う。
隈はマニフェストとしてのポスターをあえて商業的観点で説明することの新しさを見せたが、
それでもなお、ポスターの持つ圧倒的な想像力のポテンシャルは汚れない。
そんな隈事務所でもコンペティションにおいて提示するしかないポスターは、
勝ち負けに無関係で、今は当然、おそらく数十年という先の世界でも、価値が巡るものだ。
それは都市計画の実現性とはまた別次元の建築的価値であり、且つこれは誰もが体感的に知っている。
僕はポスターが描きたい。
磯崎新によってナンセンスにされようが、必ず回帰する建築界に課せられた仕事だ。
ポスターで都市を語ることがナンセンス、という逆説的な楔を打ったのもまた
磯崎の『ふたたび廃墟となった広島』(1968)というポスターであるが、
あれが建築だったらここまでの破壊力はなかった。
その意味で、精度を持ったポスターの強度は未だ揺らがない。
オトナリどころか、時空を超えて想像力をつなぐために、僕はポスターを描きたい。
そしてこのくそ長くてふらふらと胴体着陸する妙な日記が
たとえ現代日本語を解さない人たちにとってみても、
内容の緩急とリンクするこの文字羅列のリズムだけでも美しいと感じてもらいたい。
そのためだけですら、僕は言葉を綴りたい。
出展:
特記なき限り画像出典はwikipediaより。
居庸関刻文の画像は『翼の王国』No.487より。
マンガの画像は『シュトヘル』より抜粋。
建築のドローイングは『アーキラボ 建築・都市・アートの新たな実験』より抜粋。
チンギス・ハーンによる異常で執拗な抹消行為の隙間を縫い、
長らく「解読」は出来なくなったものの、「形状」は奇跡的に現代へ残った。
今日はこのことについて思うことを、ただ思うことを、
文字という至高の芸術に敬意を表して、ただ長々と書いてみたい。
出張中の飛行機のなかで、いつも楽しみにしているANAグループ機関誌:『翼の王国』を読んでいると、
「流砂に消えた王国」という西夏の遺跡を巡る旅行記事があった。
ちょうどビックコミックスピリッツに連載している伊藤悠:『シュトヘル』という
西夏文字をテーマにしたマンガの魅力にやられまくっていたため、
興奮して隅から隅まで読ませてもらった。
西夏文字と李元昊
西夏は1038年~1227年に中国西北部に存在した、タングート(チベット系民族)の国である。
李元昊(り・こうげん)という天才政治家によって建国され、強固な哲学を以って、
またイスラム、仏教、ヒンドゥー、チベットといった多様な宗教文化領域の狭間であることも手伝い、
独自の文化を形成した。
その文化の最たる結晶が、西夏文字である。
先の李元昊が建国とほぼ同時に創作を進め、約6000字に及ぶ民族文字を作り上げた。
漢字の構成を拝借しながら、西夏の古代語の要素と独自の工夫や発想を織り交ぜたため
象形要素が抜け落ちており、もともとの漢語の知識ではまったく読むことが出来ない。
長らく未解読の時代が続いたが、1960年代頃に大体の解読がなされた。
西夏文字で中国人を表す「漢人」は、「小偏に虫」と表記する。
つまり、そこには確固たる哲学がある。
文字は哲学によって生まれ、経験で育てられることで、
その社会を象徴しながら事象と記憶を留める。
李元昊は全てが消えていく大草原において、「留めること」を考えた。
反草原。
それは本当に、本当に革命的な行為だった。
モンゴル文字の国璽とチンギス・ハーン
一方、モンゴル帝国は文字を持たなかった。
(モンゴル文字は、西夏文字が生まれてから150年後、
国璽(印鑑)の必要性を迫られて生まれたという極めてビジネスライクな起源を持つ。)
チンギス・ハーンは、何も留まらず、何も残らない「順草原」の哲学を持っていた。
そうでしか彼の異常な行為は説明できない。
彼はおそらく人類史上最大の殺人鬼である。
「歴史からなかったことにする」という行為を繰り返した恐ろしい人間だ。怪物の類である。
制圧した都市は人間のみならず、犬、猫、そこにいる「生物」全てを完全に殺し切ったという。
建造物、工作物、そして文字もまた、殺され、焼き尽くされた。
領土征服というよりも、人間の構築した都市をただひたすらに草原に還していった、
という表現の方がどう見ても正しい。
なぜか宗教には寛容だったというが、それは「何もない」草原において、
偶像があってもなくても同じ、という理由ではないだろうか。
復讐の相手には煮えたぎる金属を体中の穴に流し込むという想像を絶する拷問を行い、
死者数を数えながら周囲国家の戦意を殺ぐために淡々と男、女、子供別の生首のピラミッドを築き、
時には職人だけ生け捕りにして技術を奪い、
次の戦いが城攻めならば捕虜と敵国の武具を確保し、最前線に立てて容赦なく同士討ちをさせた。
降伏しようが和議しようが、用が済めば平然と約束を破り皆殺しにした。
全てが異常なまでにシステマティックに遂行され、黙々と都市を消した。
なぜそこまで「消した」のか、はわかっていない。
先にも書いたように、草原の哲学を貫いたとしか言えない。
ヨーロッパにおいて「タタールの軛(くびき)」のトラウマは今にも続く。
「消した」ことで、逆に世界中にトラウマを留めた男。
西夏も例に漏れず、あらゆるものが消された。
一説によると、西夏文字には何かチンギス・ハーン自身のトラウマが記されていたために
執拗に焼き尽くされたのではないか、というドラマティックな話もあるが、
恐らくチンギス・ハーンは「留める」という哲学そのものを焼き払いたかったのではないか。
自身の陰惨な生い立ちから築き上げた「全ては消える」という彼の哲学が、
消えたことで彼の精神をなんとか保っていたかつての家族と友人の怨念が、
西夏の「留める」という哲学を何としても否定しなければならなかったのではないか。
ヒンドゥーになぞらえれば、李元昊はヴィシュヌ(保持)、ハーンはシヴァ(破壊)。
西夏を巡る攻防は、草原を軸にした人間の最もラディカルな哲学のぶつかり合いだった。
(*両者は世代差があるので直接対峙はしていない)
結果西夏という国家は徹底的に滅ぼされたが、
西夏文字という文化の真髄は残ったことで、ある種の勝利を収めた。
この歴史をもとにした伊藤悠:『シュトヘル』の設定が抜群に切れている。
モンゴル帝国のなかで圧倒的武力を示して頭角を現すツォグ族の幼い皇子:ユルール。
チンギス・ハーンの落とし子でもあるユルールは
ツォグ族の存続を担う政治材料として丁重に生かされている。
そのことに負い目を感じて生きる虚弱な10歳の少年は、
自身の一族に消されていく人々の無念をも同時に背負い、
記憶を留めるために生まれた西夏文字に至高の美しさを感じている。
結果、純モンゴル人どころか、大ハーンの血を引く人間でありながら、
ユルールは西夏文字を永遠に残すために、
ただ持っているだけで万死に値する西夏文字の字典:「玉音同(ぎょくおんどう)」を抱え、
文字以外の一切を捨てて一族を裏切り、はるか遠くの宋国へと逃亡の旅に出る。
その途中、モンゴル族に故郷を壊滅させられ狂人と化した西夏人の女戦士:シュトヘルと出会う。
+++
『翼の王国』に掲載されていた、1. 居庸関(きょようかん)刻文の楷書の西夏文字、
『シュトヘル』のなかの 2. 玉音同に刻まれた西夏文字 は本当に美しい。
美しいから残った、としか言いようがないほどに説得力のある美しさだ。
画像の下段に並べたのは、まだ解読されていない古代文字の羅列である。
(3.ロンゴロンゴ文字 / 4. 彝文字 / 5.インダス文字 / 6. ヴィンチャ文字 / 7. キュプロ・ミノア文字)
伝える内容とは別次元で、文字という形状そのものがここまで美しいのはなぜなのか。
意味を持つ単位の、整然とした羅列は、なぜこうまで悪魔的な魅力を持つのか。
建築においても、設計される建造物とは別次元で、図面、ドローイングの強さというものがある。
以前生で見たコープ・ヒンメルブラウの『ヴィラ・ローザ』、
ハンス・ホラインの『表現手段としてのコミュニケーション交流都市プロジェクト』、
ギュンター・ドメニヒの『フローラスキン』といったオーストリア勢のドローイングは
あまりにも緻密な線であまりにも大胆な構想を留めていて、凄まじい衝撃を覚えた。
あの感動は模型どころか、建築以上だった。
建築界の情動は実のところ建築が担わず、ドローイングによって牽引されている、とはよく言われることだが…
1. Coop Himmelb(l)au : 『Villa Rosa』(1968)
2. Hans Hollen : 『Project City-Communication Interchange as a Means of Expression』(1962)
3.4. Eilfried Huth & Gunther Domenig : 『FLORASKIN』(1971)
リアライズの手前にある、リアライズ以上の精度をもってイメージを留める行為自体の強さ、美しさを感じたい。
整然と並ぶ文字、図面に見るただならぬ魅力は、物事を留めて伝えるものでありながら、
時間と無関係に内容以上の想像力を誘爆する燃料のようなものを内包しているからだ。
それは西夏文字が、1000年を経た現代においてまでも
『シュトヘル』の想像力を生んだことを考えれば、確かなことだ。
隈研吾の論考:『ポスターからオトナリへ』(新建築2008年7月号)では、このスケールの時間を超えられない。
ポスターで宣伝し、グッズとしての建築を売ることから、
近接するお隣に声をかけるという部分ごとのコミュニケーションが
都市の全体をつくるリアリスティックな手段だと彼は謳う。
隈はマニフェストとしてのポスターをあえて商業的観点で説明することの新しさを見せたが、
それでもなお、ポスターの持つ圧倒的な想像力のポテンシャルは汚れない。
そんな隈事務所でもコンペティションにおいて提示するしかないポスターは、
勝ち負けに無関係で、今は当然、おそらく数十年という先の世界でも、価値が巡るものだ。
それは都市計画の実現性とはまた別次元の建築的価値であり、且つこれは誰もが体感的に知っている。
僕はポスターが描きたい。
磯崎新によってナンセンスにされようが、必ず回帰する建築界に課せられた仕事だ。
ポスターで都市を語ることがナンセンス、という逆説的な楔を打ったのもまた
磯崎の『ふたたび廃墟となった広島』(1968)というポスターであるが、
あれが建築だったらここまでの破壊力はなかった。
その意味で、精度を持ったポスターの強度は未だ揺らがない。
オトナリどころか、時空を超えて想像力をつなぐために、僕はポスターを描きたい。
そしてこのくそ長くてふらふらと胴体着陸する妙な日記が
たとえ現代日本語を解さない人たちにとってみても、
内容の緩急とリンクするこの文字羅列のリズムだけでも美しいと感じてもらいたい。
そのためだけですら、僕は言葉を綴りたい。
出展:
特記なき限り画像出典はwikipediaより。
居庸関刻文の画像は『翼の王国』No.487より。
マンガの画像は『シュトヘル』より抜粋。
建築のドローイングは『アーキラボ 建築・都市・アートの新たな実験』より抜粋。
LIVE ROUNDABOUT JOURNAL 2010 実況レビュー 06-02
二次会レポートです。
こちらでラストになります。
写真があるのでもう少しJP寿司の様子をご紹介。

何度もやっていますが今回が一番食べてもらえた。
というのも、長丁場のイベントで本当に皆さん
おなかすいてらっしゃったからだと思います。
学生スタッフの食欲もすごいものがあったが。

食べてくださった方々、そして実現させていただいたINAX:GINZAさん、
本当にありがとうございました。

近くの会場に移動して二次会。
TRAで反省会。次の企画について早速話し合う。
この数分後に藤村さんは力尽き、省エネのスリープモードへ。
(皆からエコ藤村と呼ばれる)

びっくりなことに会場には岡田栄三さんが!
「どうせここでLRAJの打ち上げやるだろう」と読んだ上で
同日開催されていた「鏡の髪型 清水久和」展トークショー
の関係者皆さんの打ち上げ会場をこちらにセッティングしたらしい。
完全に狙い通りのバッティング!策士やなー。

今回動画編集を担当してくれたY-PACの皆さんやスタッフの学生たち。
タフなイベントだったけど、イベント実行の経験として
とても濃い一日になったのではないだろうか。
献身的に協力してくれて本当にありがとう!
深夜3時まで色んな方々との議論は続きました。
長々と、遅れ遅れの更新で大変ご迷惑をおかけしましたが
お付き合いいただき本当にありがとうございました。
また今回のイベントの内容が内外に派生して、
様々な形で現れてくるのを楽しみにしています。
ROUNDABOUT JOURNAL、そしてAARの今後の活動にご期待ください。
よろしくお願いいたします。
+++
LRAJ2010 実況レビューINDEX:
00-01:LRAJ2010準備レポート その1
00-02:LRAJ2010準備レポート その2
00-03:LRAJ2010準備レポート その3
01セッション:藤村龍至 + 濱野智史
02セッション:酒井康史 x 連勇太朗
03セッション:池上高志 x 李明喜+岡瑞起 x 藤本壮介
04セッション:磯崎新
05:フリーペーパー発行
06:打ち上げ(JP寿司)
07:二次会
こちらでラストになります。
写真があるのでもう少しJP寿司の様子をご紹介。
何度もやっていますが今回が一番食べてもらえた。
というのも、長丁場のイベントで本当に皆さん
おなかすいてらっしゃったからだと思います。
学生スタッフの食欲もすごいものがあったが。
食べてくださった方々、そして実現させていただいたINAX:GINZAさん、
本当にありがとうございました。
近くの会場に移動して二次会。
TRAで反省会。次の企画について早速話し合う。
この数分後に藤村さんは力尽き、省エネのスリープモードへ。
(皆からエコ藤村と呼ばれる)
びっくりなことに会場には岡田栄三さんが!
「どうせここでLRAJの打ち上げやるだろう」と読んだ上で
同日開催されていた「鏡の髪型 清水久和」展トークショー
の関係者皆さんの打ち上げ会場をこちらにセッティングしたらしい。
完全に狙い通りのバッティング!策士やなー。
今回動画編集を担当してくれたY-PACの皆さんやスタッフの学生たち。
タフなイベントだったけど、イベント実行の経験として
とても濃い一日になったのではないだろうか。
献身的に協力してくれて本当にありがとう!
深夜3時まで色んな方々との議論は続きました。
長々と、遅れ遅れの更新で大変ご迷惑をおかけしましたが
お付き合いいただき本当にありがとうございました。
また今回のイベントの内容が内外に派生して、
様々な形で現れてくるのを楽しみにしています。
ROUNDABOUT JOURNAL、そしてAARの今後の活動にご期待ください。
よろしくお願いいたします。
+++
LRAJ2010 実況レビューINDEX:
00-01:LRAJ2010準備レポート その1
00-02:LRAJ2010準備レポート その2
00-03:LRAJ2010準備レポート その3
01セッション:藤村龍至 + 濱野智史
02セッション:酒井康史 x 連勇太朗
03セッション:池上高志 x 李明喜+岡瑞起 x 藤本壮介
04セッション:磯崎新
05:フリーペーパー発行
06:打ち上げ(JP寿司)
07:二次会
LIVE ROUNDABOUT JOURNAL 2010 実況レビュー 06-01
フリーペーパー発行ののち、登壇者の皆さんやメディア関係者の方々、
スタッフたちの打ち上げが開催されました。

んで…、遂にやってしまいました、サプライズJP寿司!
INAX:GINZAのご厚意を受けて
極秘下のもと仕込みを行い、実現してしまいました。
パートナーである仙田満事務所の
宇佐美(通称:自然先生)も駆けつけてくれました。
*JP寿司とは、わたくし松島JPが5年前の隈事務所での暑気払いを契機に、
東工大仙田研究室の納会、ホームパーティなど各所で開催している
知る人ぞ知る、知らない人はまったく知らない手巻き寿司興行です。
詳細はこちらをご参照ください。

会場が築地のお隣京橋ということもあり、
築地直送のネタがいつも以上に新鮮な輝きを見せている。
ご飯を乗せるまな板は、今回は見栄えが大事ということで
ウサミがわざわざ自腹切って買ってきてくれたのだった。

見て、見てこれ!
磯崎さんがJP寿司を食べてるよ!
巻いてお渡しするときに、緊張して手が震えて
イクラが落ちてしまいましたよ。
東浩紀さんほか出演者の方々も驚かれてました。
打ち上げまで設計するのがROUNDABOUT JOURNALです。
しかしネタのレイアウトと人の流れの関係について東さんからダメ出しを喰らう。
「アーキテクチャ、甘いんじゃないの!?」
どこまでも厳しいお方…

ご自分でコハダや和え物を取る磯崎さん。
笑顔でお食べになっているのを見て、とてつもない感動を覚える。
でもなんでこんなことしてんだろ俺。
JP寿司、史上最大の大物ゲストです。
でも仙田さん、隈さんもそうですが、
JP寿司を食べたことのある建築家さん、結構いるんですよ。

大成功して有頂天の松島JP。
寿司屋でもいいから以後お見知りおきを。
07:二次会
へつづく
次でラストです。長々とすみません。
+++
LRAJ2010 実況レビューINDEX:
00-01:LRAJ2010準備レポート その1
00-02:LRAJ2010準備レポート その2
00-03:LRAJ2010準備レポート その3
01セッション:藤村龍至 + 濱野智史
02セッション:酒井康史 x 連勇太朗
03セッション:池上高志 x 李明喜+岡瑞起 x 藤本壮介
04セッション:磯崎新
05:フリーペーパー発行
06:打ち上げ(JP寿司)
07:二次会
スタッフたちの打ち上げが開催されました。
んで…、遂にやってしまいました、サプライズJP寿司!
INAX:GINZAのご厚意を受けて
極秘下のもと仕込みを行い、実現してしまいました。
パートナーである仙田満事務所の
宇佐美(通称:自然先生)も駆けつけてくれました。
*JP寿司とは、わたくし松島JPが5年前の隈事務所での暑気払いを契機に、
東工大仙田研究室の納会、ホームパーティなど各所で開催している
知る人ぞ知る、知らない人はまったく知らない手巻き寿司興行です。
詳細はこちらをご参照ください。
会場が築地のお隣京橋ということもあり、
築地直送のネタがいつも以上に新鮮な輝きを見せている。
ご飯を乗せるまな板は、今回は見栄えが大事ということで
ウサミがわざわざ自腹切って買ってきてくれたのだった。
見て、見てこれ!
磯崎さんがJP寿司を食べてるよ!
巻いてお渡しするときに、緊張して手が震えて
イクラが落ちてしまいましたよ。
東浩紀さんほか出演者の方々も驚かれてました。
打ち上げまで設計するのがROUNDABOUT JOURNALです。
しかしネタのレイアウトと人の流れの関係について東さんからダメ出しを喰らう。
「アーキテクチャ、甘いんじゃないの!?」
どこまでも厳しいお方…
ご自分でコハダや和え物を取る磯崎さん。
笑顔でお食べになっているのを見て、とてつもない感動を覚える。
でもなんでこんなことしてんだろ俺。
JP寿司、史上最大の大物ゲストです。
でも仙田さん、隈さんもそうですが、
JP寿司を食べたことのある建築家さん、結構いるんですよ。
大成功して有頂天の松島JP。
寿司屋でもいいから以後お見知りおきを。
07:二次会
へつづく
次でラストです。長々とすみません。
+++
LRAJ2010 実況レビューINDEX:
00-01:LRAJ2010準備レポート その1
00-02:LRAJ2010準備レポート その2
00-03:LRAJ2010準備レポート その3
01セッション:藤村龍至 + 濱野智史
02セッション:酒井康史 x 連勇太朗
03セッション:池上高志 x 李明喜+岡瑞起 x 藤本壮介
04セッション:磯崎新
05:フリーペーパー発行
06:打ち上げ(JP寿司)
07:二次会
LIVE ROUNDABOUT JOURNAL 2010 実況レビュー 05
第二部の冒頭では、なんとライブで編集!したY-PACによるLRAJ2010のムービーを披露。
しばし手を止めて見入る編集部。
第二部のアツアツな議論を経て、
いよいよフリーペーパー発行です。
今回はTwitterのTL上で展開された議論や感想も編集して、黄色い縦折A4の紙に掲載。
これをA3折の紙に挟み込むことで、
文字起こしされたセッション内容とシンクロして
TL上でどんなリアクションがなされていたかもわかるようになっています。
200人を超える入場者の方々へ配布。
駄々漏れではなく、カチッと編集された情報がその場で発行され、
お持ち帰りできるというイベントのつくりに喜んでくださいました。
僕自身もこれを読んで復習し、次なる議論につなげていければと思います。
さて…続いては打ち上げの様子をレポートします。
06:打ち上げ(JP寿司)
へつづく
+++
LRAJ2010 実況レビューINDEX:
00-01:LRAJ2010準備レポート その1
00-02:LRAJ2010準備レポート その2
00-03:LRAJ2010準備レポート その3
01セッション:藤村龍至 + 濱野智史
02セッション:酒井康史 x 連勇太朗
03セッション:池上高志 x 李明喜+岡瑞起 x 藤本壮介
04セッション:磯崎新
05:フリーペーパー発行
06:打ち上げ(JP寿司)
07:二次会
LIVE ROUNDABOUT JOURNAL 2010 実況レビュー 04
実況って冠はなんなんだって感じで大変恐縮ですが…
ラストセッションのレビューです。

遂にご登場の磯崎新さん。
控え室にいらっしゃったときからオーラムンムンでした。
この存在感はちょっと圧倒的です。

プレゼンテーションの内容は、
アーキグラムにおけるセドリック・プライスの立ち位置に自分を重ねての、
批判的メタボリズム、批判的都市設計について。
都市設計におけるシステムは自走し、自滅する。
コンセプトは炎上する。
建築物を単純にコンピュータだけで展開していっても
いずれはキャラ、アイコン化に至る。
ただ、プロセスしか信じることができない。
「都市への回帰」の模索は続けているが、
60年代に宣言した「都市から撤退せよ」はいまだ有効な状態になっている。

TLでは、磯崎さんの放つ「炎上」というボキャブラリーや
pptの現代的ビジュアルに歓喜する、さながら祭の様相だった。
「2/6はアラタ記念日」なる声も上がる!
都市設計に対する諦めの連続、という批判的内容に対してネガティヴな反応は少なく、
むしろ拡散される問題提起に対しての議論が誘爆されていく。
批判的諦めスタンスを以って、生産に向かう。
磯崎流諦観構築手法の真骨頂を見た思いがした。

情報化、集合知は物事の解析レベルを圧倒的に引き上げたが
果たして物事の統合レベル、構築レベルを引き上げるものなのか。
統合や構築=つまり「建築」は、膨大なトライアンドエラーで蓄積された
慣習要素=レガシーシステムのみが担うのか。
今回のイベントの根幹を問う議論は、第二部へと引き継がれる。
*第二部の内容についてはフリーペーパーやこちらでは掲載いたしません。
また後日、別の媒体にて編集して掲載したいと考えています。

05:フリーペーパー発行
へつづく
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00-01:LRAJ2010準備レポート その1
00-02:LRAJ2010準備レポート その2
00-03:LRAJ2010準備レポート その3
01セッション:藤村龍至 + 濱野智史
02セッション:酒井康史 x 連勇太朗
03セッション:池上高志 x 李明喜+岡瑞起 x 藤本壮介
04セッション:磯崎新
05:フリーペーパー発行
06:打ち上げ(JP寿司)
07:二次会
ラストセッションのレビューです。
遂にご登場の磯崎新さん。
控え室にいらっしゃったときからオーラムンムンでした。
この存在感はちょっと圧倒的です。
プレゼンテーションの内容は、
アーキグラムにおけるセドリック・プライスの立ち位置に自分を重ねての、
批判的メタボリズム、批判的都市設計について。
都市設計におけるシステムは自走し、自滅する。
コンセプトは炎上する。
建築物を単純にコンピュータだけで展開していっても
いずれはキャラ、アイコン化に至る。
ただ、プロセスしか信じることができない。
「都市への回帰」の模索は続けているが、
60年代に宣言した「都市から撤退せよ」はいまだ有効な状態になっている。
TLでは、磯崎さんの放つ「炎上」というボキャブラリーや
pptの現代的ビジュアルに歓喜する、さながら祭の様相だった。
「2/6はアラタ記念日」なる声も上がる!
都市設計に対する諦めの連続、という批判的内容に対してネガティヴな反応は少なく、
むしろ拡散される問題提起に対しての議論が誘爆されていく。
批判的諦めスタンスを以って、生産に向かう。
磯崎流諦観構築手法の真骨頂を見た思いがした。
情報化、集合知は物事の解析レベルを圧倒的に引き上げたが
果たして物事の統合レベル、構築レベルを引き上げるものなのか。
統合や構築=つまり「建築」は、膨大なトライアンドエラーで蓄積された
慣習要素=レガシーシステムのみが担うのか。
今回のイベントの根幹を問う議論は、第二部へと引き継がれる。
*第二部の内容についてはフリーペーパーやこちらでは掲載いたしません。
また後日、別の媒体にて編集して掲載したいと考えています。
05:フリーペーパー発行
へつづく
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01セッション:藤村龍至 + 濱野智史
02セッション:酒井康史 x 連勇太朗
03セッション:池上高志 x 李明喜+岡瑞起 x 藤本壮介
04セッション:磯崎新
05:フリーペーパー発行
06:打ち上げ(JP寿司)
07:二次会
LIVE ROUNDABOUT JOURNAL 2010 実況レビュー 03
第三セッションです。

池上高志さん
複雑系の科学とは、時間軸を導入すること。
「タイムスケールヒエラルキー」と「キーストーン」についてのプレゼン。
時間構造というアプローチから都市を、世界を、人間を考える。
人の意識にあがる”今”というのは幅をもった、
編集されたある纏まりである。
「今」のスケーリングを伸縮させることで見えてくる
新たな世界を考えたい。
新たな時間と歴史の捉え方のプレゼンテーションを目の当たりにして、
TL上ではその咀嚼について語り合うような内容が多く見られた。
これまで語られている仮想空間のあり方は、
「今」という時間のあり方の多様な表現なのだ、
ということに気づかされたところで、
「今」の可視化の方法として、次の李明喜さん+岡瑞起さんにつながる。

李明喜さん+岡瑞起さん
「強いネットワーク=前期デザイン=線形な世界、から、
弱いネットワーク=後期デザイン=非線形な世界へ」
意識無意識関係なく、
リアルタイムの同時多発的なものごとをセマンティックウェブで拾い、
意味と分類を付加して可視化する。
ピンポンマップでは、更に可視化したものを環境のなかに還元する、、
ということを考えている。

TLでは一般意思2.0のひとつの表現型ではないか、という声も上がり、
ピンポンマップの応用の広さと懐の深さに対しての期待感が多く見られた。
可視化だけでなく、環境に還元していく(揺らぎを与える)ということが、
運動と停滞の間にある「キーストーン」の見つけ方としても有効なのではないか。
弱い、というボキャブラリーとして
「弱い建築」を提唱してきた藤本壮介さんのプレゼンへ。

これまでの作品から、
人間と空間のコミュニケーションを豊かにするべく、
人間と空間の付き合い方の根源に遡るコンセプトを提示。
その上で「関係のないものが隣接してしまう」という新たな関係性をつくることで、
経験(歴史)があるからこそ可能になる偶発の進化インパクトを、
人、そして環境に与える手法を見せている。
冒頭で東さんが言った
「二項対立的な考えがいかに混ざり合っていくかということを考えなければならない。」
という内容を地で行く、あいまいな領域の実践をプレゼン。
TLでは、藤本さんのレクチャーの実況から、
だんだんと作品に対する個々人の批評が展開されたのが興味深かった。
マニフェストに対しての議論から、
どうしても作品そのものに対しての議論へと移行してしまう。
その意味で、観客はどこまでも藤本さんを「建築家」以外に見ることが出来ない、
ということが明らかになっていたように思う。
それが建築家2.0を語る場所でもある今回のイベントにおいて、
ひとつのあり方、存在感を示していたように感じている。
次なるセッションでは、その逆、
マニフェストが圧倒的に存在感を持ちながら、紛れもない「建築家」、
磯崎さんの登場です。

お詫び:
あまりにも編集作業に追われて実況と言えないタイムラグでの
投稿となってしまいました。
もはや次も実況にはなり得ませんが、
折を見て、責任を持ってレビューを書き上げますので、
ご容赦の程よろしくお願いします。
04セッション:磯崎新
へつづく
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01セッション:藤村龍至 + 濱野智史
02セッション:酒井康史 x 連勇太朗
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04セッション:磯崎新
05:フリーペーパー発行
06:打ち上げ(JP寿司)
07:二次会
池上高志さん
複雑系の科学とは、時間軸を導入すること。
「タイムスケールヒエラルキー」と「キーストーン」についてのプレゼン。
時間構造というアプローチから都市を、世界を、人間を考える。
人の意識にあがる”今”というのは幅をもった、
編集されたある纏まりである。
「今」のスケーリングを伸縮させることで見えてくる
新たな世界を考えたい。
新たな時間と歴史の捉え方のプレゼンテーションを目の当たりにして、
TL上ではその咀嚼について語り合うような内容が多く見られた。
これまで語られている仮想空間のあり方は、
「今」という時間のあり方の多様な表現なのだ、
ということに気づかされたところで、
「今」の可視化の方法として、次の李明喜さん+岡瑞起さんにつながる。
李明喜さん+岡瑞起さん
「強いネットワーク=前期デザイン=線形な世界、から、
弱いネットワーク=後期デザイン=非線形な世界へ」
意識無意識関係なく、
リアルタイムの同時多発的なものごとをセマンティックウェブで拾い、
意味と分類を付加して可視化する。
ピンポンマップでは、更に可視化したものを環境のなかに還元する、、
ということを考えている。
TLでは一般意思2.0のひとつの表現型ではないか、という声も上がり、
ピンポンマップの応用の広さと懐の深さに対しての期待感が多く見られた。
可視化だけでなく、環境に還元していく(揺らぎを与える)ということが、
運動と停滞の間にある「キーストーン」の見つけ方としても有効なのではないか。
弱い、というボキャブラリーとして
「弱い建築」を提唱してきた藤本壮介さんのプレゼンへ。
これまでの作品から、
人間と空間のコミュニケーションを豊かにするべく、
人間と空間の付き合い方の根源に遡るコンセプトを提示。
その上で「関係のないものが隣接してしまう」という新たな関係性をつくることで、
経験(歴史)があるからこそ可能になる偶発の進化インパクトを、
人、そして環境に与える手法を見せている。
冒頭で東さんが言った
「二項対立的な考えがいかに混ざり合っていくかということを考えなければならない。」
という内容を地で行く、あいまいな領域の実践をプレゼン。
TLでは、藤本さんのレクチャーの実況から、
だんだんと作品に対する個々人の批評が展開されたのが興味深かった。
マニフェストに対しての議論から、
どうしても作品そのものに対しての議論へと移行してしまう。
その意味で、観客はどこまでも藤本さんを「建築家」以外に見ることが出来ない、
ということが明らかになっていたように思う。
それが建築家2.0を語る場所でもある今回のイベントにおいて、
ひとつのあり方、存在感を示していたように感じている。
次なるセッションでは、その逆、
マニフェストが圧倒的に存在感を持ちながら、紛れもない「建築家」、
磯崎さんの登場です。
お詫び:
あまりにも編集作業に追われて実況と言えないタイムラグでの
投稿となってしまいました。
もはや次も実況にはなり得ませんが、
折を見て、責任を持ってレビューを書き上げますので、
ご容赦の程よろしくお願いします。
04セッション:磯崎新
へつづく
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01セッション:藤村龍至 + 濱野智史
02セッション:酒井康史 x 連勇太朗
03セッション:池上高志 x 李明喜+岡瑞起 x 藤本壮介
04セッション:磯崎新
05:フリーペーパー発行
06:打ち上げ(JP寿司)
07:二次会
LIVE ROUNDABOUT JOURNAL 2010 実況レビュー 02
第二セッションです。
酒井康史/連勇太朗
1980年代後半生まれの二人による
対照的なプレゼンテーション。

酒井さんは
空間設計の複雑さを数理モデルで表す修士研究から、
『コンピュータライゼーション』
機械にやってもらうこと(50年前の情報のパラダイム)から
『コンピューテーション』
人間と機械という二項対立を区別しない
というパラダイムシフトへの手立てを語る。

連さんは
具体的な民家再生計画を紹介しながら、
アーキコモンズという情報共有体をつくり、
その中における人、モノ、技術、経験といった
濃密なオープンプロセスを意識的に経ることによる設計手法を提示。
濱野さんから
「アーキコミュニティ」的なものを「アーキコモンズ」と
表現していることの面白さについてコメントがあった。
人の集まりに限らない、「知の集まり」としての可能性を
極めてフィジカルに行っている。

両者は設計で扱うものがフィジカルかメタフィジカルかいう観点で
対照的なアプローチを見せているが、
「情報に対しての付き合い方」
「全ての要素を情報単位へ還元するような目線」という意味では
非常に世代的な共通性を感じさせる。
TLの反応は切り口としてのとっつきやすさということからか
圧倒的に連さんのへのコメントが多かったが、
メタボリズム2.0を「提唱する」世代である
藤村・濱野のセッションのあとで、
極めてリテラルにそれを実践する可能性を秘めた両者の活動が
より具体的な提唱実現方法として注目を集めていることがわかる。
・プロセスの共有、情報の蓄積、技術系の解放、この三つは、
『建築設計』という行為の構造自体に関係者全員が
意識的になるという点で重要そう。
・連くんのいう建築家像はDM,PM,CMということなんだろう思う。
すごく共感できる。情報とコミュニケーションを共有、可視化できることで
ブラックボックス化されていた様々なプロセスが見えてくる。
・形の更新が藤村さんだとすると、関係の更新が連さんだろうか
・連君のやっていることは嫌な見方をすると、小さな広告代理店なんだよね。
クリエイティブに民家を再生します、みたいな。
けどここでアーキコモンズという概念を発表して意思表明をすることで、
社会に通じる思想・未来像の提唱みたいなものができると思う。
・アーキコモンズ。知の集合。それを濃密にするには技術もだけど、
技法の設計と知の集合を定着させる型のようなものが大切??
といったように、
彼らの活動に対しての提案、批判、模索といった
第一セッションから比べて非常に生産的な意見が多く見られた。
まさにこれらの集合知によって、実践の更なる展開が為されていくことこそが
今回のイベントの目指す地平と言える。

03セッション:池上高志 x 李明喜+岡瑞起 x 藤本壮介
へつづく
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酒井康史/連勇太朗
1980年代後半生まれの二人による
対照的なプレゼンテーション。
酒井さんは
空間設計の複雑さを数理モデルで表す修士研究から、
『コンピュータライゼーション』
機械にやってもらうこと(50年前の情報のパラダイム)から
『コンピューテーション』
人間と機械という二項対立を区別しない
というパラダイムシフトへの手立てを語る。
連さんは
具体的な民家再生計画を紹介しながら、
アーキコモンズという情報共有体をつくり、
その中における人、モノ、技術、経験といった
濃密なオープンプロセスを意識的に経ることによる設計手法を提示。
濱野さんから
「アーキコミュニティ」的なものを「アーキコモンズ」と
表現していることの面白さについてコメントがあった。
人の集まりに限らない、「知の集まり」としての可能性を
極めてフィジカルに行っている。
両者は設計で扱うものがフィジカルかメタフィジカルかいう観点で
対照的なアプローチを見せているが、
「情報に対しての付き合い方」
「全ての要素を情報単位へ還元するような目線」という意味では
非常に世代的な共通性を感じさせる。
TLの反応は切り口としてのとっつきやすさということからか
圧倒的に連さんのへのコメントが多かったが、
メタボリズム2.0を「提唱する」世代である
藤村・濱野のセッションのあとで、
極めてリテラルにそれを実践する可能性を秘めた両者の活動が
より具体的な提唱実現方法として注目を集めていることがわかる。
・プロセスの共有、情報の蓄積、技術系の解放、この三つは、
『建築設計』という行為の構造自体に関係者全員が
意識的になるという点で重要そう。
・連くんのいう建築家像はDM,PM,CMということなんだろう思う。
すごく共感できる。情報とコミュニケーションを共有、可視化できることで
ブラックボックス化されていた様々なプロセスが見えてくる。
・形の更新が藤村さんだとすると、関係の更新が連さんだろうか
・連君のやっていることは嫌な見方をすると、小さな広告代理店なんだよね。
クリエイティブに民家を再生します、みたいな。
けどここでアーキコモンズという概念を発表して意思表明をすることで、
社会に通じる思想・未来像の提唱みたいなものができると思う。
・アーキコモンズ。知の集合。それを濃密にするには技術もだけど、
技法の設計と知の集合を定着させる型のようなものが大切??
といったように、
彼らの活動に対しての提案、批判、模索といった
第一セッションから比べて非常に生産的な意見が多く見られた。
まさにこれらの集合知によって、実践の更なる展開が為されていくことこそが
今回のイベントの目指す地平と言える。
03セッション:池上高志 x 李明喜+岡瑞起 x 藤本壮介
へつづく
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02セッション:酒井康史 x 連勇太朗
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04セッション:磯崎新
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06:打ち上げ(JP寿司)
07:二次会
LIVE ROUNDABOUT JOURNAL 2010 実況レビュー 01
大変遅くなりました。
本編スタートです。
今回はレポートではなく、レビューを主体にお伝えします。
主にTwitterのリアクションをもとに
各レクチャラーのプレゼンを受けて何が議論されるべきか、についてを考えます。

さて第一セッションは濱野さん大遅刻という面白すぎる事態によって
TwitterのTLがその状況報告で埋め尽くされてしまったが、
どこか重苦しかった緊張感が飛んで動きと熱気に変わりました。
ただ、ゆっくり今日の議論の前提知識を咀嚼するはずの時間が
結果的に凄まじく早足になってしまったのが少々悔やまれますが…
実況レビューはTRA本瀬も投稿しています。
http://aar.art-it.asia/u/motose
ご確認ください。

藤村さんの作品プレゼンテーションを受けて、
濱野さんの「1960年代メタボリズム:磯崎新」と
「2010年代のメタボリズム2.0:藤村龍至」の比較がなされ、
モノの氾濫と、情報の氾濫。
同じ過渡期の時代にありながら、この違いが
何の違いをもたらしているのかを明確にする。

最もTLでリアクションのあったフレーズが
『「見えない都市」から「見える都市」へ』である。
「非実体的な霧、情報の集合であった都市空間」が
「アーキテクチャによって、ツールによって可視化する都市空間へ」
今後ヴァーチャルな情報コミュニケーションが都市を覆いつくし、
-それはおそらく徹底的に表層的な使われ方をするが-
集合的無意識がアーキテクチャやツールによって可視化されることによって
都市/社会の形成に対してヴァーチャルとリアルの交錯した
ダイレクトなヴィジョンを持つことも出来る。
1960年代の批判的メタボリズムにおいて「都市から撤退せよ」
と宣言した磯崎の言葉から、
今こそ「都市に回帰せよ」と宣言される時代が来た、
という今回のテーマへとたどり着く。

東浩紀さんは
これまでの一般意思は静的モデル→欲望の均衡点を掴むものであって、
実際の欲望の変容の動性を組み込んだ
ダイナミックなコミュニケーションを伴う集団的合意形成が必要である、
場と人々、情報と物質、表層と深層のような、
二項対立的な考えではもうだめで、
それらがいかに混ざり合っていくかということを考えなければならない。
それが情報と物質の温度差を整えるメタボリズム2.0へ向かうのではないか。
とコメント。

TL上ではgoogle的、yahoo的という言葉の定義で議論が展開された。
・超線形設計プロセスが「作品」という表層に向けられている点で
まだgoogle的というには射程が短いのではないか。
集合知で建築基準法を書き換えられればgoogle的である
というコメントがあり、
・ダイレクトに建築基準法を変えるのは難しい。
かなりのタイムラグが生じるが、
今のところ表層である「作品」が
都市や意思決定にインパクトを与えることで
深層領域への影響をもたらす、
という方法での介入でしかまだタッチが出来ないのでは
という声もあった。この声は僕ですが。
続いての第2セッションは
リテラルに情報を扱い、コンピュータを駆使する世代が登場します。
乞うご期待。
かなり投稿遅れていてすみません。
02セッション:酒井康史 x 連勇太朗
へつづく
+++
LRAJ2010 実況レビューINDEX:
00-01:LRAJ2010準備レポート その1
00-02:LRAJ2010準備レポート その2
00-03:LRAJ2010準備レポート その3
01セッション:藤村龍至 + 濱野智史
02セッション:酒井康史 x 連勇太朗
03セッション:池上高志 x 李明喜+岡瑞起 x 藤本壮介
04セッション:磯崎新
05:フリーペーパー発行
06:打ち上げ(JP寿司)
07:二次会
本編スタートです。
今回はレポートではなく、レビューを主体にお伝えします。
主にTwitterのリアクションをもとに
各レクチャラーのプレゼンを受けて何が議論されるべきか、についてを考えます。
さて第一セッションは濱野さん大遅刻という面白すぎる事態によって
TwitterのTLがその状況報告で埋め尽くされてしまったが、
どこか重苦しかった緊張感が飛んで動きと熱気に変わりました。
ただ、ゆっくり今日の議論の前提知識を咀嚼するはずの時間が
結果的に凄まじく早足になってしまったのが少々悔やまれますが…
実況レビューはTRA本瀬も投稿しています。
http://aar.art-it.asia/u/motose
ご確認ください。
藤村さんの作品プレゼンテーションを受けて、
濱野さんの「1960年代メタボリズム:磯崎新」と
「2010年代のメタボリズム2.0:藤村龍至」の比較がなされ、
モノの氾濫と、情報の氾濫。
同じ過渡期の時代にありながら、この違いが
何の違いをもたらしているのかを明確にする。
最もTLでリアクションのあったフレーズが
『「見えない都市」から「見える都市」へ』である。
「非実体的な霧、情報の集合であった都市空間」が
「アーキテクチャによって、ツールによって可視化する都市空間へ」
今後ヴァーチャルな情報コミュニケーションが都市を覆いつくし、
-それはおそらく徹底的に表層的な使われ方をするが-
集合的無意識がアーキテクチャやツールによって可視化されることによって
都市/社会の形成に対してヴァーチャルとリアルの交錯した
ダイレクトなヴィジョンを持つことも出来る。
1960年代の批判的メタボリズムにおいて「都市から撤退せよ」
と宣言した磯崎の言葉から、
今こそ「都市に回帰せよ」と宣言される時代が来た、
という今回のテーマへとたどり着く。
東浩紀さんは
これまでの一般意思は静的モデル→欲望の均衡点を掴むものであって、
実際の欲望の変容の動性を組み込んだ
ダイナミックなコミュニケーションを伴う集団的合意形成が必要である、
場と人々、情報と物質、表層と深層のような、
二項対立的な考えではもうだめで、
それらがいかに混ざり合っていくかということを考えなければならない。
それが情報と物質の温度差を整えるメタボリズム2.0へ向かうのではないか。
とコメント。
TL上ではgoogle的、yahoo的という言葉の定義で議論が展開された。
・超線形設計プロセスが「作品」という表層に向けられている点で
まだgoogle的というには射程が短いのではないか。
集合知で建築基準法を書き換えられればgoogle的である
というコメントがあり、
・ダイレクトに建築基準法を変えるのは難しい。
かなりのタイムラグが生じるが、
今のところ表層である「作品」が
都市や意思決定にインパクトを与えることで
深層領域への影響をもたらす、
という方法での介入でしかまだタッチが出来ないのでは
という声もあった。この声は僕ですが。
続いての第2セッションは
リテラルに情報を扱い、コンピュータを駆使する世代が登場します。
乞うご期待。
かなり投稿遅れていてすみません。
02セッション:酒井康史 x 連勇太朗
へつづく
+++
LRAJ2010 実況レビューINDEX:
00-01:LRAJ2010準備レポート その1
00-02:LRAJ2010準備レポート その2
00-03:LRAJ2010準備レポート その3
01セッション:藤村龍至 + 濱野智史
02セッション:酒井康史 x 連勇太朗
03セッション:池上高志 x 李明喜+岡瑞起 x 藤本壮介
04セッション:磯崎新
05:フリーペーパー発行
06:打ち上げ(JP寿司)
07:二次会
LIVE ROUNDABOUT JOURNAL 2010 実況レビュー 00-3
いよいよ始まります。

11:30の時点ですごい行列。しかも必読書を読みながら並ぶ方々。
すごい気合を感じる。観客の気迫に押されそうなのは3回目にして初めてだ。

準備の合間を縫って立ちながらの昼食。
染みるぜ。

これまで牛丼がお約束でしたが、
今回は近くのお店でおにぎりを仕出ししてもらいました。

開場。異様なざわめき感。
第一回、第二回をはるかに上回る緊張感が漂っている。
これはすごいことになりそうだ。肌で感じる。
わずか14分で満員になってしまった…

ひとつ上のフロアである8Fにサテライト席を設けています。
座って見たい方は8Fにて中継映像をご覧ください。
サテライト席には電源もあります。
なお、USTREAMによる中継映像のURLはこちらになります。
http://www.ustream.tv/channel/fujii-tv-lraj2010
それではスタート!
01セッション:藤村龍至 + 濱野智史
へつづく
+++
LRAJ2010 実況レビューINDEX:
00-01:LRAJ2010準備レポート その1
00-02:LRAJ2010準備レポート その2
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01セッション:藤村龍至 + 濱野智史
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11:30の時点ですごい行列。しかも必読書を読みながら並ぶ方々。
すごい気合を感じる。観客の気迫に押されそうなのは3回目にして初めてだ。
準備の合間を縫って立ちながらの昼食。
染みるぜ。
これまで牛丼がお約束でしたが、
今回は近くのお店でおにぎりを仕出ししてもらいました。
開場。異様なざわめき感。
第一回、第二回をはるかに上回る緊張感が漂っている。
これはすごいことになりそうだ。肌で感じる。
わずか14分で満員になってしまった…
ひとつ上のフロアである8Fにサテライト席を設けています。
座って見たい方は8Fにて中継映像をご覧ください。
サテライト席には電源もあります。
なお、USTREAMによる中継映像のURLはこちらになります。
http://www.ustream.tv/channel/fujii-tv-lraj2010
それではスタート!
01セッション:藤村龍至 + 濱野智史
へつづく
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LRAJ2010 実況レビューINDEX:
00-01:LRAJ2010準備レポート その1
00-02:LRAJ2010準備レポート その2
00-03:LRAJ2010準備レポート その3
01セッション:藤村龍至 + 濱野智史
02セッション:酒井康史 x 連勇太朗
03セッション:池上高志 x 李明喜+岡瑞起 x 藤本壮介
04セッション:磯崎新
05:フリーペーパー発行
06:打ち上げ(JP寿司)
07:二次会
LIVE ROUNDABOUT JOURNAL 2010 実況レビュー 00-2
朝9:30にスタッフ全員揃って朝礼。冒頭にしてある意味最大の山場。
協力してくれる学生スタッフの人数に驚かされるととともに、女子率の低さに愕然。
この事実には開き直っていきたいと思います。
スタッフ紹介とともに概要の説明。
「LRAJはスタッフこそ主役」
「スタッフの動きの精度が全体に即影響する」
緊張感溢れる朝礼で、一日の始まりをしっかり引き締める。
この長丁場を乗り切るには、本当に緊張感の持続が欠かせないのだ。
その分、終わった後のイベント裏方、文字編集のスキルアップはすごいものがある。
続いて各チームに分かれてそれぞれの役割分担を確認。
こちらは会場係。イバノ番長の檄が飛ぶ。
こちらは文字編集係。今回は内容の文字起こしやレビューとともに
Twitterのコメントも組み込むため、文章整理がかなり複雑。
よりスムーズにレイアウトのカリヤへ文字情報を流すためのシステムを議論。
考えて準備し、考えずに動く。
これがイベント裏方の鉄則。
文字起こしチーム。別名12人の天使たち。
イベントの根底を支える重要なポジション。
同時にイベントの内容を最も咀嚼できるポジションでもある。
濃い議論を濃く伝えるべく、頑張っていただきたい。
00-03:LRAJ2010準備レポート その3
へつづく
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02セッション:酒井康史 x 連勇太朗
03セッション:池上高志 x 李明喜+岡瑞起 x 藤本壮介
04セッション:磯崎新
05:フリーペーパー発行
06:打ち上げ(JP寿司)
07:二次会
