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02月 08日 07:10   /  FDmountwill_millsの日記
[社会] #LRAJ2010 Ust配信 PCの前でぶっ続けで見た

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シュレーディンガーの猫、の箱

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このたびは東北地方太平洋沖地震で被災されました皆さまに心よりお見舞い申し上げます。


今回のエントリは震災を挟んで書き上げた文章で、当然ながら内容の展開に少なからぬ影響がありました。
強烈に与えられた、日々刻々と変わってしまう日常というものに対する緊張感を忘れずに、
今後も些細な私事から湧き上がる考え事を綴っていこうと思っています。



+++


2月初旬、11年間住み続けたアパートをようやく飛び出して、
東京タワーのよく見える古めかしいマンションの最上階へ引っ越した。
事務所とも住まいとも何とも言えない、中途半端な広さのワンルーム。
ニッチを突いたのか、驚きの賃料に食い付くことが出来た。

最上階で角部屋の二面採光なのでとにかく明るい。
窓の外には東京タワー。
足元はオール墓場。
たぶんそのうちお化けが出ると思う。






仕事の傍ら、夜な夜な旧部屋の掃除と梱包作業に追われていると、
それまで当然のように住んでいた町への感傷がじわじわとやってくる。
ゴミ袋に投げ込まれるのを逃れてダンボールに詰められる雑貨たちも、
ここを離れたらもう同じものではないような気がしてきた。
結局すべて置き去りにするような気がした。
10年住めば、どの土地も置行堀(おいてけぼり)となるのだった。


この梱包作業を通して、風景やシークエンスという掴みどころのないものよりも、
置いてある物一つ一つに宿る情報の総体こそが土地なのだ、と気付いたとき、
思わず「これが土地か、」と声が漏れた。
土地は不動産なのでやっぱり運べないみたい。
物から土地を切り離して、根本的な情報の抜けた動産を運ぶしかないのだった。

そして僕という動産からも、これまで住んでいた土地のゲニウス・ロキが切り離される。
僕の時間断面のゴーストがここで離脱し、地縛霊となる。
こんなあまりに文学的で嘘っぽい感覚が、なんだか妙に確かに掴めたのだった。




置行堀



山積のダンボールを引越屋の兄ちゃん2人が手際良く運んでいく。
PCモニターには不思議な布団のような袋を被せて運び、
衣服はプラスチックダンボールで出来たモバイルクローゼットとも言うべきものに
みっちり詰めてトラックに載せていく。

彼らの様子をしげしげと眺めながら、
運ぶってなんだろうか、ということが妙に気になり始めた。
原始的な行動の「運ぶ」から、いわゆる「物流」まで、
人間の歴史のなかにおける運搬ということについて調べたくなり、
引越先近くの港区の図書館に行って、運ぶことに関する本をあれこれ読んでみた。

ちなみに新居の近所に「物流博物館」なるものがあり、
このエントリを書く上で是非行ってみようと思っていたのだが…
震災の影響で当面の間休館になってしまった。
こういうときこそ知りたい情報だったのに。



+++


輸送・運搬に関する本の背表紙をひととおり眺めると、
運ぶということを語るには、当たり前ながら
ミクロのフィジカル論と、マクロのロジスティクス論に分けられる。


フィジカル論を紐解けば、まぁとにかく人体という構造物は
二足歩行がゆえに「運ぶ」という機能が高度に備わっていて、
道具を使うことで更にその機能を飛躍的に高められる大変面白い生物のようだ。

合理性が求められると同時にしぐさ、身の振りに直接的に関わることなので、
「運び方」とそれにまつわる道具は極めて文化に派生しやすい。




1.頭に乗せる / 2.背に負う / 3.肩に担ぐ / 4.腰に下げる / 5.手で持つ
出展:須藤功=編 『写真で見る日本生活図引 2 とる・はこぶ』 弘文堂 2005


このしぐさ5種と、体と接続する結び部分と収納部分のドッキングした道具を使い分け、
時に同時に用いながらあれやこれやを運ぶ運ぶ。
45kg~150kgまでならばこれでいける。


この輸送量を超えるとなると、牛馬、船、車に話が移り、
これら運び手をどう効率的に扱うかで話はロジスティクス(交通・物流)の領域に入る。
こうなるとインフラ配備も絡んできて話が膨大になるため、
にわかの勉強では太刀打ち出来ないのだが…


日本運輸史をざっと斜め読むと、とかく運搬方法は
「既存の運送業とのいざござ → 棲み分け → 淘汰」の轍を踏む。
中馬と宿場、高瀬舟と車借・馬借の軋轢などなどがあるが、
日本における運輸の最たる転換は、郵便の公営化だ。

それまで純肉体労働である運送業は、
助郷、雲助、飛脚、川越といった、言葉は悪いがある種の賤業だったので、
前島密がヨーロッパに習いお上の公営としたのは相当衝撃的だったようだ。
飛脚業者の切れ者:佐々木荘助が慌てて
郵便事業は政府、運送を民間業者という案を認可させたことで
「日本通運」の前身が生まれ、現在の棲み分けバランスが構築された。


印象として、とにかくロジスティクスはその社会の躍動の現れというか、
社会全体の生命性に直結している。
いざござや軋轢、淘汰も含めて、
こんなにも(抽象的な意味で)動性に溢れた体系があるのか、と驚かされた。

良い風が吹き始めると一斉に白帆を上げて動き出す
高瀬舟の風景はそれはそれは圧巻だったようだが、
そのダイナミズムは上記のフィジカルな5種の運び方の写真で見られるように、
物を運ぶ人間一人ひとりにも感じることが出来る。


彼ら僕らはヘモグロビンとなり、張り巡らされたロジスティクスという血脈に乗って、
社会という器官を瑞々しく機能させている。



+++





引越は先の不動産へのスタティックな感傷と同時に、
息もつかさず上記のような動産のダイナミズムも襲ってくる。
新居に積まれたダンボールを開けて出てくる様々な形の物たちは、
やはり以前と同じ物でないものの、以前よりも豊かなラインを持っているようで
本ひとつ取ってみてもなんだかめくらずにはいられない。なかなか棚に収まってくれない。


「運ぶ」という行為は、物から土地という情報を奪うことだ。


しかし物から土地という情報は奪えても、形を奪わなければ当然物は持続する。
フォーマットされて意味を失い、形骸化しても、
形式、そして図式はそれだけで物の内在時間を継続させる。
この単純な事実こそが、建築の持つ愛と力だ。

建築設計は、物と情報を統合することで意味を設計し、存在をつくる作業だ。
でも、意味は絶対いつか物から抜け落ちる。
でも、同時に生まれる「形」という究極のリアリティが、
どこまでもその存在を現実的に担保する。


伊勢神宮も諏訪大社も、その起源がもはや辿れなくとも、
建築が、儀式が、つまり形式が神の存在を担保し続ける。


だからシュレーディンガーの猫で最も注目すべき大事な要素は、
猫でもラジウムでも青酸ガスでもなくて、その箱なんだよ。
箱はどこまでも願いに応答していつまでも存在を担保し、
「素晴らしいから在る」を、「在るから素晴らしい」に孵してくれる。





身体という形式を思えばこんな簡単なこといつだってわかるのに。
身体の意味なんて神様だってもはや辿れないけど、確実に、「在るから素晴らしい」。



+++


3月11日、地震と津波の暴力は、建築やインフラどころか、地形すら奪ったことに呆然としています。

それでも残る人間たちの身体と、生活という変わらない形式を以って、
彼らの時間、我々の時間を継続させていくことを願っています。

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