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- 02月 08日 07:10 / FDmountwill_millsの日記
- [社会] #LRAJ2010 Ust配信 PCの前でぶっ続けで見た
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表示いたします。
「アートと建築:今わたしたちが表現したいこと」実況レビュー02
第二部のおさらい。
+++
■それぞれの作品プレゼンテーション。
・金氏徹平さん

既製品を組み合わせることで作品を作っている。
自分でやったことはなにもない。
興味のあることは、
形のない現象や、形を留めないもの(動的なもの)を作品にできないかということ。
たとえばコーヒーの染みから作られた立体作品では、
液体の跡を切り抜いて、染みという現象を
無理矢理形にしてしまったことに手ごたえがあった。
形を定着させるはずの彫刻が、形を留めないもので構成されているという状態を作りたい。
・永山祐子さん

ものの実体と、実際それを見た人の受ける印象の差に興味がある。
見ている人側に焦点を合わせることで、実体の方が変わってくることが面白い。
「実体としての身体」と「身体感覚」のギャップを追い続けることで
経験(個々人の慣習)からのゆるやかな脱却、つまり精神的自由へ到達できる。
+++
■五十嵐さんからの両者への質問とその回答

・五十嵐さん→金氏さん
何でもつなげていくことで、流動的なものをつなげていくことで
生命体に近しいものを作り上げている。
金氏さんの作品は「おいしそう」。
それこそが「具象的かつ抽象的」という矛盾した生命体状態そのものと言える。
「思ったより小さい/大きい」といった
スケール感覚の違いに驚かれることについてはどう考えているか。
・金氏さん→五十嵐さん
スケール感をずらすことへの興味とは、すなわち動きに興味がある。
意味が動くこと
次元が動くこと
スケールが動くこと
に興味があり、流動的なものを流動的なままに組み上げたい。
・五十嵐さん→永山さん
永山さんの作品とオプアートの関係について
・永山さん→五十嵐さん
オプアートの表現、パターンそのものの効果とは違ったものを求めている。
パターンそれ自体の意味というより、
パターンが起こす現象を通して自分が今ここにいてどうあるか、
という跳ね返ってくることに興味がある。
つまり「実体と感じてさせている」経験的感覚とはなんだろうか。
+++
■アートと建築の関係

・金氏さん→永山さん(アート→建築)
建築家のプレゼンテーション能力の高さに驚く。
「立体を四つの正面で捉える」というような
平面的な現象がつなぎ合わさって出来ている立体空間に共感する。
見えても行けない場所、という「無駄な空間を作る」ことに驚きと共感を得た。
建築は機能だけで出来上がっているというイメージがあった。
日常を、色んな現象が起き続けているように見る、
つまり映像に期待している感覚を日常へ持ち込むという点が興味深い。
・永山さん→金氏さん(建築→アート)
アートは抽象的過ぎるもので抽象をつくるというイメージがあった。
具象の組み合わせで抽象をつくるという金氏さんの作品の面白さは、
誰にとっても具体的なものがある人にとっては抽象だったり、
という都市の持つカオチックな側面が凝縮されている点。
建築は時間的空間的制約を受けるが
アートの自由なプロセスを知りたい。
制約からの自由さに憧れと不安を持っている。
+++
■藤村さんからの両者への質問とその回答
・藤村さん→金氏さん
スーパーフラット運動等の過去にあったコンセプチュアルの際立った
アート界の運動についてはどういうスタンスでいたか。
・金氏さん→藤村さん
遠くで行われていること、当時は捏造された感覚でリアリティが無かったが、
語られていた平面性は今共感することとして際立ってきた
日常のなかで落とし込むことで初めて体感できた。
・藤村さん→金氏さん
コンセプトというのは半ば強引に作るものだが
それがゼロ年代を通して日常化されてきたのではないか。
+++
■アートと建築の関係について
五十嵐さんの建築の定義=感性とロジックの融合体。
・永山祐子さん
実現させたい表現領域は近しいが、プロセスが決定的に違っている。
条件、制約があることで日常のシーンを捕まえて拡大する手の掛かりがあるが、
それがないアートは一体どういうプロセスを経るのか不思議。
・金氏徹平さん
アートも本当の自由なんてない。
そこを崩していく方法として、自分でルールを作る、
ということを実践している。
建築と美術の一番大きな違いは、都市の一部になりえるかどうかではないか。
美術は都市の一部になりえない、無駄であり続けることが存在意義。
接点は、建築側が「無駄である」ことへ関心が出てきたからではないか。
逆に言えば無駄であることが都市の一部になり得る時代。
空間として、物体としての興味はすごくある。
+++
JPレビュー
両者は物理的に、経験的に固まったものの動性を取り戻す
という意味で共通した作業をしている。
金氏さんの流動的なコラージュは、五十嵐さんが指摘したように
池上高志さんの呈する生命体の定義に近いが、
流動を流動のままに表現することは都市体であるとも言える。
どの立体作品も「都市のリコラージュ」というべき
一瞬では捉えがたい不思議な存在感を持っている。
永山さんの追求する「身体と身体感覚のギャップ」は
空間体験として何をもたらすかと言うと、
設計者が設計しているなかで常々夢想しているメタ空間体験へ、
誰もがあっという間に到達できることなのではないか。
日常のなかで当たり前のようにありながら
経験的にズレたことが起こっていることで、
否が応でも、自分の身体と自分のいる場所に対して俯瞰的な視点へジャンプしてしまう。
設計者が設計という行為にて特権的に味わっている
固定化した経験、慣習のトレースと解体を、
建築を訪れた全ての人に提供している。
両者の作品は誰もが都市、身体、時間を眺める視点を解体できるようになる、
というところまで射程を延ばしている。
その点においては、アートと建築は同じ照準を見据えているのではないか。
つづく
+++
おまけ

動画配信頑張る藤井と、レビュー頑張る松島。
第3部:名和晃平(アーティスト)× 石上純也(建築家)
へつづく
+++
『AAR』&『G-tokyo 2010』共催トークセッション:
「アートと建築:今わたしたちが表現したいこと」実況レビューINDEX:
第1部:藤村龍至(建築家)× 中村竜治(建築家)× 長谷川豪(建築家)
第2部:金氏徹平(アーティスト)× 永山祐子(建築家)
第3部:名和晃平(アーティスト)× 石上純也(建築家)
第4部:杉本博司(アーティスト)× 青木淳(建築家)
第5部:藤本幸三(エルメスジャポン執行役員)× 西沢立衛(建築家)
+++
■それぞれの作品プレゼンテーション。
・金氏徹平さん

既製品を組み合わせることで作品を作っている。
自分でやったことはなにもない。
興味のあることは、
形のない現象や、形を留めないもの(動的なもの)を作品にできないかということ。
たとえばコーヒーの染みから作られた立体作品では、
液体の跡を切り抜いて、染みという現象を
無理矢理形にしてしまったことに手ごたえがあった。
形を定着させるはずの彫刻が、形を留めないもので構成されているという状態を作りたい。
・永山祐子さん

ものの実体と、実際それを見た人の受ける印象の差に興味がある。
見ている人側に焦点を合わせることで、実体の方が変わってくることが面白い。
「実体としての身体」と「身体感覚」のギャップを追い続けることで
経験(個々人の慣習)からのゆるやかな脱却、つまり精神的自由へ到達できる。
+++
■五十嵐さんからの両者への質問とその回答

・五十嵐さん→金氏さん
何でもつなげていくことで、流動的なものをつなげていくことで
生命体に近しいものを作り上げている。
金氏さんの作品は「おいしそう」。
それこそが「具象的かつ抽象的」という矛盾した生命体状態そのものと言える。
「思ったより小さい/大きい」といった
スケール感覚の違いに驚かれることについてはどう考えているか。
・金氏さん→五十嵐さん
スケール感をずらすことへの興味とは、すなわち動きに興味がある。
意味が動くこと
次元が動くこと
スケールが動くこと
に興味があり、流動的なものを流動的なままに組み上げたい。
・五十嵐さん→永山さん
永山さんの作品とオプアートの関係について
・永山さん→五十嵐さん
オプアートの表現、パターンそのものの効果とは違ったものを求めている。
パターンそれ自体の意味というより、
パターンが起こす現象を通して自分が今ここにいてどうあるか、
という跳ね返ってくることに興味がある。
つまり「実体と感じてさせている」経験的感覚とはなんだろうか。
+++
■アートと建築の関係

・金氏さん→永山さん(アート→建築)
建築家のプレゼンテーション能力の高さに驚く。
「立体を四つの正面で捉える」というような
平面的な現象がつなぎ合わさって出来ている立体空間に共感する。
見えても行けない場所、という「無駄な空間を作る」ことに驚きと共感を得た。
建築は機能だけで出来上がっているというイメージがあった。
日常を、色んな現象が起き続けているように見る、
つまり映像に期待している感覚を日常へ持ち込むという点が興味深い。
・永山さん→金氏さん(建築→アート)
アートは抽象的過ぎるもので抽象をつくるというイメージがあった。
具象の組み合わせで抽象をつくるという金氏さんの作品の面白さは、
誰にとっても具体的なものがある人にとっては抽象だったり、
という都市の持つカオチックな側面が凝縮されている点。
建築は時間的空間的制約を受けるが
アートの自由なプロセスを知りたい。
制約からの自由さに憧れと不安を持っている。
+++
■藤村さんからの両者への質問とその回答
・藤村さん→金氏さん
スーパーフラット運動等の過去にあったコンセプチュアルの際立った
アート界の運動についてはどういうスタンスでいたか。
・金氏さん→藤村さん
遠くで行われていること、当時は捏造された感覚でリアリティが無かったが、
語られていた平面性は今共感することとして際立ってきた
日常のなかで落とし込むことで初めて体感できた。
・藤村さん→金氏さん
コンセプトというのは半ば強引に作るものだが
それがゼロ年代を通して日常化されてきたのではないか。
+++
■アートと建築の関係について
五十嵐さんの建築の定義=感性とロジックの融合体。
・永山祐子さん
実現させたい表現領域は近しいが、プロセスが決定的に違っている。
条件、制約があることで日常のシーンを捕まえて拡大する手の掛かりがあるが、
それがないアートは一体どういうプロセスを経るのか不思議。
・金氏徹平さん
アートも本当の自由なんてない。
そこを崩していく方法として、自分でルールを作る、
ということを実践している。
建築と美術の一番大きな違いは、都市の一部になりえるかどうかではないか。
美術は都市の一部になりえない、無駄であり続けることが存在意義。
接点は、建築側が「無駄である」ことへ関心が出てきたからではないか。
逆に言えば無駄であることが都市の一部になり得る時代。
空間として、物体としての興味はすごくある。
+++
JPレビュー
両者は物理的に、経験的に固まったものの動性を取り戻す
という意味で共通した作業をしている。
金氏さんの流動的なコラージュは、五十嵐さんが指摘したように
池上高志さんの呈する生命体の定義に近いが、
流動を流動のままに表現することは都市体であるとも言える。
どの立体作品も「都市のリコラージュ」というべき
一瞬では捉えがたい不思議な存在感を持っている。
永山さんの追求する「身体と身体感覚のギャップ」は
空間体験として何をもたらすかと言うと、
設計者が設計しているなかで常々夢想しているメタ空間体験へ、
誰もがあっという間に到達できることなのではないか。
日常のなかで当たり前のようにありながら
経験的にズレたことが起こっていることで、
否が応でも、自分の身体と自分のいる場所に対して俯瞰的な視点へジャンプしてしまう。
設計者が設計という行為にて特権的に味わっている
固定化した経験、慣習のトレースと解体を、
建築を訪れた全ての人に提供している。
両者の作品は誰もが都市、身体、時間を眺める視点を解体できるようになる、
というところまで射程を延ばしている。
その点においては、アートと建築は同じ照準を見据えているのではないか。
つづく
+++
おまけ

動画配信頑張る藤井と、レビュー頑張る松島。
第3部:名和晃平(アーティスト)× 石上純也(建築家)
へつづく
+++
『AAR』&『G-tokyo 2010』共催トークセッション:
「アートと建築:今わたしたちが表現したいこと」実況レビューINDEX:
第1部:藤村龍至(建築家)× 中村竜治(建築家)× 長谷川豪(建築家)
第2部:金氏徹平(アーティスト)× 永山祐子(建築家)
第3部:名和晃平(アーティスト)× 石上純也(建築家)
第4部:杉本博司(アーティスト)× 青木淳(建築家)
第5部:藤本幸三(エルメスジャポン執行役員)× 西沢立衛(建築家)
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