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- 02月 08日 07:10 / FDmountwill_millsの日記
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「アートと建築:今わたしたちが表現したいこと」実況レビュー04
第4部のレポート&レビューです。
■青木淳さん

・全て部分化する
・表裏がわからない
・どこまで既存かわからない
・どこまで操作されたものなのか判然としない
という自然状態をどうつくるか。
意図の及ばないものを意図的に作る方法の模索を展開。
■杉本博司さん

何万年も変わらない海を古代人と変わらない目線で眺める。
人間がどのようにして意識を獲得したのか、
自分がいて自然に働きかけて文明をつくってきたのか
時間構造を操作するカメラによって、
人間の根源、意識の発生する起源、心の歴史をたどっていきたい。
古墳のあり方、日の出日の入りと禊の儀式といった、
自意識が発生したのちの「神の発生する時間と空間」を作り出したい。
本来それを担ってきたのが建築のはず。
そこを追っていくと必然的に建築家になってしまう。
+++
■杉本さんモデレート

・杉本さん→青木さん(アート→建築)
たとえば美術館という空間について。
どうして建築家はそんなに意固地につくるのか?
リベスキンドの美術館で経験した勝手の悪さ。
青木さんは美術館というものの作品性と
使い勝手の関係についてどう思われますか?
→青木さん回答
リベスキンドは作品が入ると「やだなっ」て思ってたんじゃないか。(会場笑)
建築家のタイプとして
作品として完成した建築をつくる人(より彫刻的なアプローチ)
作品として完結しないで、人や物が入る場を取り持つ人
の二種があり、自分は後者。杉本さん自身は、実は嫌ってる前者では?(笑)
→杉本さん回答
石切場や現場という人間と物が行き交う場所へ貼り付くことで
だんだん後者になりつつあります(笑)。
現場主義なので図面は描かない、つまり見積もりが取れないが
精度の高いコミュニケーションと作品が出来る。
アーティストは泥にまみれて出てくる形に恍惚とする人種だが、
建築家は図面を描くだけ描いて現場にスーツで現れる超越的な知識階層では?
現場に貼り付かない建築家は楽だな! (わざと挑発的な言葉に会場笑)
→青木さん回答
現場にずっと貼り付いて全部見切るのは本当に大変なことで恐縮です。
でも、建築家は図面を描くという行為によって作品を一度抽象化していること、
それを他人に委ねて自分で施工しない、
ということがある種の可能性を引き出している部分もあるのではないか?

・青木さん→杉本さん(建築→アート)
もし杉本さんが青森の美術館を設計するとしたら?
→杉本さん回答
やはりなるべくなら遺跡そのものの上に半端に屋根をかぶせてしまいたい
遺跡そのもの、トレンチのままにしたい。
場の持つ力をダイレクトに伝えたいが、法律が邪魔をしている。
法隆寺の五重塔は建築基準法違反であって
日本の一番良い建築は、建築基準法上つくることができない。
人工(にんく)が高すぎて縄文時代に人海戦術で出来たものが
現在はつくることが出来ない。
このジレンマと建築家はもっと戦ったほうが良いのではないか。
・杉本さん→青木さん(アート→建築)
自分は無垢志向で切った断面がその素材で全部詰まっているものを使いたい。
一方で青木さんは表面にただならぬ感覚を持っている。
ソリッド感、無垢というのが権力象徴として
青森美術館のレンガのトメの納め方等など表層的に見える操作を行い、
隙だらけで実は強いというスタイルを取っている
二重に裏切っているという意味で賢いけどズルい。
→青木さん回答
美術館という空間それ自体がペラペラなものをペラペラに見せない
というズルい側面を持っている。
水戸芸術館の担当時のエピソード:コーナーだけ無垢を使って
実際の厚みがばれないようにする指示などを交えて、
アーティストに空間を提供する立場において
改めてその考えに開き直って建物全体をつくると
どうなるかということの可能性も追っていった。
・杉本さん→青木さん(アート→建築)
ブレゲンツ美術館では、ズントーの自己美意識で作られた
トップライトのルーバーがあっという間に壊れて機能しなくなっていた。
建築家の自己神殿に対抗するには、美術館のなかに自分の空間をつくる
建築家にならざるを得ない。
→青木さん回答
それはだいぶ変わってきたのではないか。
建築家の空間に対する権威的な姿勢が解体されて、
金沢21世紀美術館や青森美術館では
その象徴としてあるエントランスロビーという空間がそもそもない。
・杉本さん→青木さん(アート→建築)
一方的な抵抗ではなく、建築家がアーティストと向かい合って
格闘出来る空間として美術館のあり方を考えていくべきだろう。

+++
■JPレビュー
建築家の作る美術館、もしくは空間に納得できない。
だから自分で作るしかない。
そうしたら自分の方が圧倒的精度を持って出来てしまうではないか、
と面白おかしくも非常に挑発的な問題提起を行う杉本さんに対して、
建築家であるからこそ知っている現場主義の限界を見据えている上での手法なのだ、、
という青木さんの返しは、穏やかなやり取りながらかなりスリリングだった。
問題へ真正面にぶつかるといつかは疲弊する。
だからかわすことで見えてくる地平を捉えて空間を作っていくという
青木さんのスタンスは圧倒的に知的かつ魅力的であるものの、
杉本さんの問いは建築に携わっている人間誰しもが持つ一番ラディカルな欲望であり、
否が応でも心を動かされる感動的な響きを持っていた。
精度を高めることで根源的な世界が初めて現れる、
つまり超精度を追求することはむしろ時間をさかのぼることだということを
ミニマルな表情ながら饒舌に語ってくるその作品から、
これまでのセッションと逆に、
建築がアートから慣習の強さを教えられた時間のように思えた。
第5部:藤本幸三(エルメスジャポン執行役員)× 西沢立衛(建築家)
へつづく。
次がラストセッションです。
+++
『AAR』&『G-tokyo 2010』共催トークセッション:
「アートと建築:今わたしたちが表現したいこと」実況レビューINDEX:
第1部:藤村龍至(建築家)× 中村竜治(建築家)× 長谷川豪(建築家)
第2部:金氏徹平(アーティスト)× 永山祐子(建築家)
第3部:名和晃平(アーティスト)× 石上純也(建築家)
第4部:杉本博司(アーティスト)× 青木淳(建築家)
第5部:藤本幸三(エルメスジャポン執行役員)× 西沢立衛(建築家)
■青木淳さん

・全て部分化する
・表裏がわからない
・どこまで既存かわからない
・どこまで操作されたものなのか判然としない
という自然状態をどうつくるか。
意図の及ばないものを意図的に作る方法の模索を展開。
■杉本博司さん

何万年も変わらない海を古代人と変わらない目線で眺める。
人間がどのようにして意識を獲得したのか、
自分がいて自然に働きかけて文明をつくってきたのか
時間構造を操作するカメラによって、
人間の根源、意識の発生する起源、心の歴史をたどっていきたい。
古墳のあり方、日の出日の入りと禊の儀式といった、
自意識が発生したのちの「神の発生する時間と空間」を作り出したい。
本来それを担ってきたのが建築のはず。
そこを追っていくと必然的に建築家になってしまう。
+++
■杉本さんモデレート

・杉本さん→青木さん(アート→建築)
たとえば美術館という空間について。
どうして建築家はそんなに意固地につくるのか?
リベスキンドの美術館で経験した勝手の悪さ。
青木さんは美術館というものの作品性と
使い勝手の関係についてどう思われますか?
→青木さん回答
リベスキンドは作品が入ると「やだなっ」て思ってたんじゃないか。(会場笑)
建築家のタイプとして
作品として完成した建築をつくる人(より彫刻的なアプローチ)
作品として完結しないで、人や物が入る場を取り持つ人
の二種があり、自分は後者。杉本さん自身は、実は嫌ってる前者では?(笑)
→杉本さん回答
石切場や現場という人間と物が行き交う場所へ貼り付くことで
だんだん後者になりつつあります(笑)。
現場主義なので図面は描かない、つまり見積もりが取れないが
精度の高いコミュニケーションと作品が出来る。
アーティストは泥にまみれて出てくる形に恍惚とする人種だが、
建築家は図面を描くだけ描いて現場にスーツで現れる超越的な知識階層では?
現場に貼り付かない建築家は楽だな! (わざと挑発的な言葉に会場笑)
→青木さん回答
現場にずっと貼り付いて全部見切るのは本当に大変なことで恐縮です。
でも、建築家は図面を描くという行為によって作品を一度抽象化していること、
それを他人に委ねて自分で施工しない、
ということがある種の可能性を引き出している部分もあるのではないか?

・青木さん→杉本さん(建築→アート)
もし杉本さんが青森の美術館を設計するとしたら?
→杉本さん回答
やはりなるべくなら遺跡そのものの上に半端に屋根をかぶせてしまいたい
遺跡そのもの、トレンチのままにしたい。
場の持つ力をダイレクトに伝えたいが、法律が邪魔をしている。
法隆寺の五重塔は建築基準法違反であって
日本の一番良い建築は、建築基準法上つくることができない。
人工(にんく)が高すぎて縄文時代に人海戦術で出来たものが
現在はつくることが出来ない。
このジレンマと建築家はもっと戦ったほうが良いのではないか。
・杉本さん→青木さん(アート→建築)
自分は無垢志向で切った断面がその素材で全部詰まっているものを使いたい。
一方で青木さんは表面にただならぬ感覚を持っている。
ソリッド感、無垢というのが権力象徴として
青森美術館のレンガのトメの納め方等など表層的に見える操作を行い、
隙だらけで実は強いというスタイルを取っている
二重に裏切っているという意味で賢いけどズルい。
→青木さん回答
美術館という空間それ自体がペラペラなものをペラペラに見せない
というズルい側面を持っている。
水戸芸術館の担当時のエピソード:コーナーだけ無垢を使って
実際の厚みがばれないようにする指示などを交えて、
アーティストに空間を提供する立場において
改めてその考えに開き直って建物全体をつくると
どうなるかということの可能性も追っていった。
・杉本さん→青木さん(アート→建築)
ブレゲンツ美術館では、ズントーの自己美意識で作られた
トップライトのルーバーがあっという間に壊れて機能しなくなっていた。
建築家の自己神殿に対抗するには、美術館のなかに自分の空間をつくる
建築家にならざるを得ない。
→青木さん回答
それはだいぶ変わってきたのではないか。
建築家の空間に対する権威的な姿勢が解体されて、
金沢21世紀美術館や青森美術館では
その象徴としてあるエントランスロビーという空間がそもそもない。
・杉本さん→青木さん(アート→建築)
一方的な抵抗ではなく、建築家がアーティストと向かい合って
格闘出来る空間として美術館のあり方を考えていくべきだろう。

+++
■JPレビュー
建築家の作る美術館、もしくは空間に納得できない。
だから自分で作るしかない。
そうしたら自分の方が圧倒的精度を持って出来てしまうではないか、
と面白おかしくも非常に挑発的な問題提起を行う杉本さんに対して、
建築家であるからこそ知っている現場主義の限界を見据えている上での手法なのだ、、
という青木さんの返しは、穏やかなやり取りながらかなりスリリングだった。
問題へ真正面にぶつかるといつかは疲弊する。
だからかわすことで見えてくる地平を捉えて空間を作っていくという
青木さんのスタンスは圧倒的に知的かつ魅力的であるものの、
杉本さんの問いは建築に携わっている人間誰しもが持つ一番ラディカルな欲望であり、
否が応でも心を動かされる感動的な響きを持っていた。
精度を高めることで根源的な世界が初めて現れる、
つまり超精度を追求することはむしろ時間をさかのぼることだということを
ミニマルな表情ながら饒舌に語ってくるその作品から、
これまでのセッションと逆に、
建築がアートから慣習の強さを教えられた時間のように思えた。
第5部:藤本幸三(エルメスジャポン執行役員)× 西沢立衛(建築家)
へつづく。
次がラストセッションです。
+++
『AAR』&『G-tokyo 2010』共催トークセッション:
「アートと建築:今わたしたちが表現したいこと」実況レビューINDEX:
第1部:藤村龍至(建築家)× 中村竜治(建築家)× 長谷川豪(建築家)
第2部:金氏徹平(アーティスト)× 永山祐子(建築家)
第3部:名和晃平(アーティスト)× 石上純也(建築家)
第4部:杉本博司(アーティスト)× 青木淳(建築家)
第5部:藤本幸三(エルメスジャポン執行役員)× 西沢立衛(建築家)
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