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02月 08日 07:10   /  FDmountwill_millsの日記
[社会] #LRAJ2010 Ust配信 PCの前でぶっ続けで見た

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川久保玲の怒り

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元を辿れば長野の山奥のクソ坊主なのだが…
いっちょまえにCOMME des GARCONS 3を買ってしもうた。



COMME des GARCONS 3

ラストノートのシダー(杉)がトップからかなり主張していて、
ふと香るたびに少しだけ背筋の伸びる感覚がする。
キャラクタの強いギャルソンのフレグランスのシリーズのなかでも、
これはとりわけ異端な香り。
パッケージデザインの異様さも相まって、たまらず購入してしもうた。



PRADA AMBER POUR HOMME / HERMES UN JARDIN SUR LE NIL

これでマイフレグランスは
PRADA AMBER POUR HOMME
HERMES UN JARDIN SUR LE NIL
と併せて3種。
天気、気分、場面に任せての使い分けがとても楽しい。


さてそのクソ坊主がどうしてフレグランスなんか買い始めたかと言うと、
かつてFM24.7というサイトにて、
世界でたった4つしかないアニマリック・フレグランス(動物性香料)についてのコラム
を書いたからだ。

香料と人間の関係は非常に面白い。

…とまぁそれは上記サイトにてさんざん書いたことなので、
今日は別の話に触れたいと思う。



+++

随分前になるが、COMME des GARCONSの創立者である
川久保玲氏のインタビューがasahi.comに載っていた。




どの言葉も示唆的で読み応えがあったが、
そのなかで、とりわけ際立つ複雑な受け答えがあった。


――反骨精神は、何に対して?

 自由に生きていきたい、皆が幸福でなければならないと思っても、
そうできない世の中の仕組みがあります。
それに、人間はそれぞれ生まれてきても決して皆同じじゃないし、
同じものをもらってないわけですよね。
そういうどうにもならない不平等の中でも、
自分は自分だって頑張って生きていかなきゃならない辛(つら)さがある。
不条理って言ったら言い過ぎかしらね。
子供の頃からずっとそういうものに怒りを感じてきました。
その気持ちを今後も持ち続けたい。




僕はこの言葉に、えっ、と耳(目)を疑うような思いがした。
言っていることはシンプルな感情なのだと思うのだが、
少し理解に時間が掛かった。

皆が同じでない、どこまでも自分として生きていく、
というあまりに根本的な条理を「不条理」と捉え、
子供の頃からそこに継続的な「怒り」を感じている?


それは子供の頃のねたみややっかみから始まったピュアな気持ちなのかもしれないが、
絶えない反骨精神の原料は何か、の問いに対する答えとして、
この言葉は単なるおパンクなカウンター志向では済まされない感覚が潜んでいる。



文化が産まれる理由のひとつに
「同じだから伝わるし、違うから伝える必要がある」
という、群体としての人間の普遍的な事実が挙げられる。

つまり生産行為とはコミュニケーションの総体であって、
いかにこのオリジンに常々還れるかどうかが、
生命維持行動を超えたところにある
創作行動のモチベーションの維持に関わっている。


僕はこの事実に対して基本的に「喜び」を感じていて、
たとえストレスフルなプロセスを辿ろうとも
このことがもたらす強烈で麻薬的な喜びのおかげで
何とか今までやってきて、これからも一応やっていくのだが。

しかし川久保氏のように、この事実に「怒り」を感じ続けているならば、
造作もなく、一瞬にしてこのレベルへ立ち戻れるだろう。
いや、立ち戻ってしまうだろう。
なるほど、これは圧倒的に強い。




子供の頃のシンプルな怒りを、年齢を経ても継続するほどに、人は「不良」と定義される。
しかしその世界との、社会とのねじれをねじり続けた先には、とても複雑で美しい世界が待っている。
このことは以前『不良的思考』というタイトルで書いた日記をご笑読いただきたい。


あのときはベンジーの歌詞を例に挙げたが、ここに巨大な不良がいた。
たとえば1m先のコップに手が届かない、両親が僕の話を聞いてくれない、
という不可能性の条理の積み重ねが、
フィジカルに、メンタルに、「私」の限界=「私」の輪郭を作る。
そこに納得しない赤ん坊の行為である「おむずがり」を70年間近くも持ち続けたらどうなるか。
世界はとてもつらくて、とても美しいに違いない。


そういえば以前Radioheadのライブで見たトム・ヨークの歌い方は、おむずがりそのものだった。
後ろの方でコーラをすすり、フランクフルトをパクつきながらしげしげ眺めていたが、
「どうしても世界が変わらない!」って、めっちゃくちゃむずがってた。



+++

さっき挙げた3種のフレグランスの使い分けは、端的に言うと
PRADA AMBER POUR HOMME はスケベになる感じで、
HERMES UN JARDIN SUR LE NIL はスタイリッシュになる感じ。


あくまでも個人的な感覚で話を進めてしまうが、
COMME des GARCONS 3は、纏っている間は自分が何者にもならない感覚がする。
パーソナリティが消えてしまう。

これはフレグランスとしてはやはり異端の類で、上記2種のように本来は
「香りを纏う=何者かになる」という意図でつくられ、使われているはずだ。

その根源を覆すような感覚。
少し人間を脱却し、自分を定義している物事からわずかに離れて、
無機物になれるような、食欲も性欲もない事柄になる感覚。



それが人間の宿命的な事実に対する
継続的でどうしようもない怒りによって生み出されたものだったなんて。

痛快すぎて、人間的に目頭が熱くなる。

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