八束はじめ特別寄稿 1/3

こんな時だからこそ、カプセルばかりでなくメガストラクチャーを
「メタボリズムの未来都市展」のためのアドバタイジング

表題を見て訝る読者は少なくないだろう。震災の非常時に何妄想のようなことをいっているんだ、と。あるいはメガストラクチャーやカプセルのような、メタボリズムの時代遅れの夢物語をこんな時に持ち出すなんて不謹慎な、と。然り、これは、サブタイトルにもあるように、私が企画している森美術館の「メタボリズムの未来都市」(震災のために会期が延長された)宣伝ではある。震災のこの時に何故メタボリズム展なのか、ということの説明でもある。本展覧会のオーガナイザーとして、「メタボリズム」の展覧会を今のそうしたタイミングで何故開催するのか、という問いに答えることは私の義務でもあるからだ(しかしもちろんそれが主目的ではないし、それだけで本欄を汚そうと思うほど図々しくはない)。実のところ、この問いは震災以前からあった。この低成長期の、無炭素社会志向時代に、何故今更イケイケどんどんの高度成長志向のメタボリズムなのだ、と。この冷笑的な反応は震災によって一層強められるに違いない。しかし、私は、こういうタイミングだからこそこの展覧会の意義がより一層あるのだと主張したい。

よくタイトルを見てほしいのだが、カプセルばかりでなく、といっている。「ばかりでなく」と自明のように結びつけられている震災とカプセルに、そもそもどんな関係があるのか?カプセルは、本来最小限の生活環境をユニット化したものである。量産のプレファブ住宅はカプセルだったといってよい。メタボリストの中でとりわけカプセルに執着が深かった黒川紀章の最初の著作は『プレファブ住宅』(1958)であった。これも後年の黒川の華麗なイコンとしてのカプセルというより、戦争からの復興の影を背負ったリサーチである。これらは、震災の被災者のための復興住宅と精神と方法を共にしている。だから、震災とカプセルは直接に結びつき得るのだ。

しかし、ここでいいたいことは、震災復興住宅のオリジン探しなどではない。何故「カプセルばかりでなくメガストラクチャーを」なのか?被災地に「メガストラクチャーを」つくれなどと戯けたことをいうのか?もちろん、そうではない。ここでいうメガストラクチャーとは、恐竜のような(というニュアンスで考えられているだろう)巨大構造物のことではない。それにおそらく被災地に関してでもない。後者に関しては残念ながら現実を直視せざるを得ない(なお以下の説は、私よりもやはり展覧会の企画メンバーでもある今村創平によるもので、この部分は、彼からのメールに触発されて書いている)。今村の説では、阪神神戸の大震災と今回の東北太平洋沖大震災の最大の違いは、前者が既成の大都市を襲い、それを旧状に復することが問題であったのに対して、東北の沿岸地域では既に都市ないし集落の基を形成している社会経済構造がずれを生じており(いわゆる縮退コミュニティ化)、あまりに多くに生命が失われたことや老齢化も含めて、旧状に復しても十全な機能をするメカニズムが欠けているところにある。いくつかのコミュニティはもはや取り返しがつかないだろう、という痛ましい現実も含めて。当然、そうした地域に巨大構造物をなどと主張することは犯罪的な世迷い言でしかない。ここでいいたいのは、物理的な構造物としてのメガストラクチャーではなくて、もっと社会的な、いってみればソフトなメガストラクチャーのことである。従来のことばでいえばこれは国土計画に近いものかもしれない。巨大構造物としてのメガストラクチャーよりもっと大きなもの、「見えない国土」の構造。
  国土計画は官製のものだが、日本のそれは全国総合開発計画、いわゆる全総と呼ばれるものだった。制度としての全総は、2010年から2015年、即ちほぼ現在時点をターゲットとして1998年に閣議決定された五全総が最後である。この全総は、全総とはもはや呼ばれず「21世紀の国土デザイン」と呼ばれたのみならず、その後制度自体が「国土形成計画」と名前を変えた。「開発」ということばへのアレルギー、開発という行為に国家が自信を喪失したことの現れともいえる。このアレルギーは、建築界では今なお強いメタボリズム・アレルギーとも通じている。しかし、この不在は日本社会の奥底を蝕んでいる。私にとってメタボリズムとは何よりも(つまりカプセルよりもメガストラクチャーよりも)計画行為(及びその可能性)に対する信念である。
  もちろん、ここで主張したいのは、我々は国の制度としての国土計画に関与しなければならないというようなことではない。しかし被災地に想いを致すにせよ、被災地に「カプセル」を提案したり、ボランティア・ネットワークを形成することだけが建築家の仕事ではないだろうとはいいたい。津波の被害の方が甚大であった今回は、神戸の時のように耐震診断に建築家が飛び回ることはさほど多くはないのかもしれないが、そうでないとしても、これだけがやるべき仕事ではない。上記の今村の卓抜な位置づけのように、既に国土(地域)の物理的実体が社会というソフトと乖離しはじめていた時期に襲ったのが今回の震災であるとすれば、このずれ、つまり社会地盤の変動は、地震や津波の直接の大きな被災地ではなかった他の都市、とくに東京にも無縁ではあり得ない。それは震災の有無に関わらず我々の考えるべき問題なのだ。

震災後3ヶ月が経過しようとしているにも関わらず、福島の原発は東京の将来にも影を落としてはいるが、これを回避さえすれば、東京は今までのような平和な安眠を再びむさぼり、あるいは人口減少時代へと平穏なランディングを夢見ていれば良いのだろうか(後の節でいうビーダーマイヤーの概念を参照)?老齢化して徐々に活力を失いながら。しかし、震災の直接の影響として、人口の首都圏への移入、被災地の過疎化の進行は、災害の怖れから人口分散をはかるという常識的な思惑とは逆に、むしろ加速するだろう。善し悪しとは別に。この状況をどう考えるか?これは国土へのヴィジョンを明らかにするという課題以外ではない。

建築家が国家の官吏になるべきだといっているわけではない。狭い意味での「制度」(国土開発法あるいはその後身としての国土形成法の如き)に携わるべきだといっているのでもない。むしろアーキテクトは本来そのような「メガ」つまり大どころの構造を構想すべき職能ではないかといっているのだ。社会システムないしマクロエンジニアリング(菊竹清訓はその国際学会長を務めた)といっても良いのかもしれない。東京を防災に強い都市に作り替えようという命題にはそれ自体否定すべき何物もないが、それだけでは十分ではない。それは必要条件(これだけだけならハードな意味でのメガストラクチャー志向と同じだ)ではあっても十分条件ではない。だが、メガストラクチャーを構想することの準備が、今の我々のプロフェッションにできているのだろうか。これが問題である。


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