現代のビーダーマイヤーを超えて
それにしても、大災害を含む社会的な変動は、建築的思考の背景を揺さぶらないではおかない。昨日にはリアリティがあったものが今日はそうでなくなる。戦争然り、震災然りである。とすれば、今回の震災は何をどう揺さぶるのか?
国土計画(メガストラクチャー)レヴェルでは、集中か分散かという全総の当初から問題であったものが再度問われることは否めない。これは都市的な規模でいえば密度と量と高さの問題に関わる(これらがメガストラクチャーの重要な要素であることはいうまでもない)。震災を目の当たりにして、やはり人間大地から離れて生活してはだめだという感想をもった人は少なくない。東京湾が津波に襲われたら三陸の比ではないだろうという理由で、東京のベイエリアや湾上(丹下の東京計画1960のように)に都市など営むべきではないという意見もあり得るだろう。確かに大規模な地盤の液状化をもたらした浦安などでは、インフラの障害のみならず不同沈下を起した家々も多かった。これが東北では津波に人家が根こそぎもっていかれるという事態に及んだ。しかし、これらの人家は多く「大地から離れて」はいない低層の戸建て住宅である。杭をうつというという手続きをとることが経済的に難しい戸建て住宅が、砂を多く含み改良もされていない地盤の上に建てられれば、不同沈下はある意味自然の理である。今回何度かいわれた「予測もつかない」あるいは「人知を超えた」事態などではない。
津波の被害が高層建築の場合どうであるのかを具体的に知ることは難しい。杭を堅牢な地盤まで届かせても、いわゆる側方流動もあって(そのせいで中越地震では中層アパートが倒壊した)、高層の方が地震には強いはずだなどという軽率な議論をする積りはない。指摘したいのは、検証も経ずに「やはり人間」などと一足飛びに結論にいってしまうことはどうだろうか、ということでしかない。結論を出す用意は当方もないが、緊急事態に面すると常識(むしろ臆見というべきだろうが)に飛びついてしまう退行現象は止めにしたい。
密度や高さといった量的次元は別として、スケールを下げて建築的思考についてもう一度考えてみよう。これは先にいった、一体我々は(広義の意味での)メガストラクチャーについて考察するだけの準備が出来ているのか、という問いにつながる。たとえば、メタボリズムは楽観的な運動であったといわれている。私はその見方には肯定的でも、逆に全面的に否定的でもないが、少なくとも当今の建築(ポストモダン)のように手放しに楽観的だったとは思わない。
19世紀の前半のドイツ語圏の文化や芸術スタイルをビーダーマイヤーと呼ぶことが多い。これは小市民というのと殆ど同義語である。ビーダーマイヤーはフランス革命及びナポレオン戦争の喧噪が終焉し、平穏だが閉塞した時代を背景とした文化で、身の回り以上のことに関心を向けない、非理想=観念(アイデアル)的な思考形態に基礎を置く。その感性はたとえば工芸や家具室内などの安逸に向けられていた。心地よさや気持ち良さを標榜し、物事の圭角を落とし、文字通り丸文字風の、あるいは携帯小説のように軽い現代の建築の多く(いわゆる「可愛い」という形容をされるもの)は、現代のビーダーマイヤーである。
「人知を超えた」現象が「やはり人間」という如き反応を生み、それが低層低密で停滞的な田園的環境の擁護に結びつくとして、そしてその建築様式がこうした現代のビーダーマイヤーなのだとして、21世紀のビーダーマイヤーの背景をなすポストモダンな安逸を破った未曾有の災害の風景は、そのリアリティをなお保持させるのだろうか?この二つが両立するとしたら、それはあまりに退廃的な風景であると私には思える。現代のビーダーマイヤーはメガストラクチャー的思考からは遠い。
震災の惨状はカプセルあるいはメガストラクチャーとはつながり得るが、ビーダーマイヤー的な光景(ないし建築)からはリアリティを奪うのではないか?しなやかでのびやかな空間とかいっても(あるいは他のどんな形容でも良いが)、建物の上に船が載るあの衝撃的で超現実的な光景の前には無力なのではないか?さて、この状況でプロフェッションとそれを支える教育からやりはじめる余裕が我々にあるのか、これは深刻な問題である。私たちは建築を語る言説を根底から鍛え直さないとならないのではないか?
八束はじめ
1948年山形県生まれ。1979年東京大学都市工学科博士課程中退。磯崎アトリエ勤務を経て、UPM(Urban Project Machine)設立。現在、芝浦工業大学教授
*1展覧会情報
http://www.mori.art.museum/jp/exhibition/metabolism.html
名称:「メタボリズム展:都市と建築」
会場:森美術館(六本木ヒルズ森タワー53階)
会期:2011年9月17日(土)~2012年1月15日(日)
「メタボリズム」とは、生物学用語で「新陳代謝」を意味し、「生物が代謝を繰り返しながら成長していくように建築や都市も有機的に変化できるようデ ザインされるべきである」というマニフェストとして、1960年代に日本で発表されました。 戦後の復興期から高度経済成長期に壮大な未来都市の像を描き、多くの実験的な建築を実現させただけでなく、今日の日本において国際的に活躍する優れた建築 家、デザイナーを輩出する基盤ともなった世界で最も知られている日本の建築理論です。
本展は、「メタボリズム」に今日どのような意義があるのかを問いかける、世界で初めての展覧会です。メタボリズム運動誕生の背景となった丹下健三の 思想・事蹟と、1960年前代を中心としたメタボリストの活発な活動、そしてこの理論の成果と言える1970年の大阪万博までを資料、模型などで紹介しま す。また、本展をきっかけとして貴重な現存資料を整理・蒐集し、将来に残すことも重要な意義と考えています。
*2 書籍情報
名称:『メタボリズム・ネクサス』
著者:八束はじめ
出版社:オーム社
刊行:2011年4月